白根発見伝説
 
       参考:鹿角市発行『鹿角市史』『祐清私記「鹿角金山はしまり之事」』
 
 秋田境目検分のため鹿角郡へ来た北十左衛門が、白根の辺りに滞在していた時、七十
余りの老婆が幼い孫を二人つれてたずねてきた。その訴えをきくと、孫の両親は数年前
になくなったが、先祖伝来の田地はこの子らの伯父が約束を守らずに横領している。明
日をも知れぬ私の命のあるうちに孫たちへ取り返してやりたいとの一心からお願いに上
がったのだという。十左衛門が老婆の持ってきた書類の一包みをほどいてみると、先祖
は永禄合戦の時長牛城攻合いで高名をあげた将監ショウゲンというもので、幾枚かの感状と
田地安堵の証文が入っていた。折から居合わせた百姓共に聞きただしてみても、老婆の
話すことに間違いはなかった。そこで早速伯父なる者を呼びだして糺明の上、横領され
た田地を取り返してやった。
 しばらくして十左衛門は、あの日老婆が置いていったもう一つの包物を思い出し、家
来に持ってこさせると、それは四尺ばかりの見事な山芋であった。なおよく見ると、芋
に付いた赤土のなかにきらきらした光り砂が混じっている。不思議に思い、鉢に入れて
洗いだしてみるとそれはみな砂金であった。さてはあの老婆、訴訟を有利にするため賄
賂がわりによこしたかと疑ってはみたものの、日頃の貧しい暮らしのなかからこのよう
な贈り物のできる訳がないと、もう一度老婆を呼んで尋ねてみることにした。
 
 老婆の語るには、昔此処に砂金というものの出る山のあったことは伝えられているが、
話ばかりで見た者は誰もいない。遠い昔に都から来た人が砂金を持って帰り、それで奈
良の大仏を彩ったとか、その後も金を掘る人がいたという話もあるが、当国の主であっ
た安倍殿が滅んでからそのことも絶えてしまった。祖父からの言い伝えには、あの山の
奥の村の少年が朝草を刈りに行ったところ、草の葉に金色の露がたまり、その輝く光が
目を射て思わず気を失ってしまった。暫くして息を吹き返した時は、その光物も消えて
いた。すぐに家に帰り、親たちと再びその所の草の葉をよく見てみると、どの葉のもみ
な金色の粉や砂が付いていた。これこそ金というものであろうと、上方へ持っていくと
数十貫の銭に代わり、それで田畑を買い長者となった。近郷の人々が羨んで探し尋ねた
が、重ねてそのような不思議は起こらなかったという。
 近年迄羽州からときどき旅人が来て、薬にするからといってこの辺の土を取ってゆく
と世間の噂があるが、そのほかはなんの変わったこともない、という物語である。
 
 十左衛門はさてこそと思い、先日の見事な山芋を掘り当てた所へ案内してもらうと、
案の定一面の砂金山であった。大いに喜んだ十左衛門は、ここから出る山芋の味は尋常
ならず美味であるとの理由で山を買い取り、山の名を姥ウバがふところと名付けた。毎日
芋を掘り、大量の土とともに俵に入れて運ばせたので、村人たちは芋好きな殿様のため
われもわれもと自分の持ち山から土まじりの山芋を運び入れるのであった。
 
〈再掲〉
 「伝え聞く上代の事に候はん此処え都より人来り玉ひ、其有山を知て其時国主と内談
し、砂金数千斤キンを求てけり、其年の国彼に禁裏え上ければ、幸其年奈良の大仏造営之
頃にて彼金泥を以て大仏を彩色奉候由、其後段々掘伝候得しか、当国の主阿部殿とやら
の亡ホロビし頃より一切に尽失けり、絶て久敷事なれば只物語りのみにて候」
 
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