53 錦木塚伝説
参考:鹿角市発行「鹿角市史」
今から千数百年前のこと、錦木のあたりを都から来た狭名大夫サナノキミという人が治めて
いた。それから八代目の狭名大海サナノオオミには、政子姫マサコヒメというたいそう美しい娘がい
た。姫には狭布キョウ(京)の細布ホソヌノ(狭布セバヌノ)を織るのがとても上手であった。
そのころ、草木の里に錦木を売るのを仕事にしている若者がいた。ある日若者は赤森
の市で政子姫を見て、心の底から好きになってしまった。毎日毎日、男は姫の門の前へ
錦木を立てた。そのころは女の家の前へ錦木を置き、それを家の中へ取り入れるのが嫁
に行っても良いという印とされていた。
若者は雨の降る日も風の吹く日も、雪の降る日も一日も休まず錦木を立てた。しかし
錦木は一回も中へ入れられず、三年もの間ただ増えるばかりだった。政子姫は機織りの
する手を休めてそっと男の姿を見るうちに、若者が好きになっていた。しかし二人は身
分が違いすぎ、また次のようなわけもあった。
五ノ宮嶽のてっぺんに大ワシが巣を作り、古川の里の方へ飛んできては子供たちをさ
らって行った。ある時、若い夫婦が我が子を失って泣いていると、みすぼらしい旅の僧
がそれを聞いて、鳥の羽をまぜた布を織って着せれば、ワシは子どもをさらえなくなる
と教えてくれた。そういう布は、よほど機織りが上手でないと作れない。そこで政子姫
は皆から頼まれ、親の悲しみを自分のように思い、三年三月のあいだ観音に願をかけ身
を清めて布を織っていたのである。そのため、嫁に行くという約束はできなかった。
若者はそんなことは知らずに毎日せっせと錦木を立てていたが、あと一束で千束にな
るという日、体がすっかり弱っていたため門の前に降りつもった雪の中に倒れて死んで
しまった。姫もその二、三日後、あとを追うように死んだ。姫の父は二人をたいそう哀
れに思い、千束の錦木といっしょに一つの墓へ夫婦としてほうむった。その墓のことを
錦木塚といっている。
錦木塚
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[詳細探訪・錦木塚祭り]
[詳細探訪・鹿角市錦木地域活動センター「錦木とけふの細布」展示室
関連リンク 錦木塚の側に鎮座する「稲荷神社」
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