5202オバフトコとオシキ
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 大里の村の上の山の中程に、四角な形の、木が生えていていない処が見えるでしょう。
其処の処が、昔から大里の村で管理している「オシキ」と呼ばれている四反歩程の広さ
の特別な草刈り場だそうです。未だ分かっていない人は、鹿角市の西側の殆どの処から
見えるために、今度気を付けて見て下さい。
 このオシキは昔、五ノ宮へ登ったと伝えられている五ノ宮皇子と関係がある処だそう
です。
 
 昔、継体天皇と吉祥姫(ダンブリ長者の一人娘秀子のこと)の間に生まれた五番目の
皇子である菟皇子トノミコが、遠く都から生母の故郷であるこの地まで下って来ました。大
里から五ノ宮嶽に登ろうとした時、途中まで登った処で、乗って来た馬が倒れて動けな
くなってしまいました。しかたがなく、皇子は歩いて一人で登って行きました。その馬
の倒れた処を「オバフトコ」と云い、今は谷地気ヤチケ(湿地)で、窪みになっています。
 このオバフトコと云う谷地で、山に放している馬達は、草を食べたり水を飲んだりし
て、此処に入って来ただけで悪魔に祟られて、そのためにその馬は死んでしまうのでし
た。
 
 このオバフトコで亡くなった可哀想な馬達の供養のために、オバフトコから約三百米
ほど離れたヒラ(傾斜)がきつくて馬達が入って来られない処に、約四反歩ばかりの草
刈り場を拵コシラえて、毎年の八月七日(昔は旧暦七月七日)の朝早く、大里の村の人達が
草刈りをしました。刈った草は、そのまゝ其処に置いて、亡くなった馬達の霊に手向け
タムケ(お供え)しました。この行事は、ずっと昔から今まで続けてやられています。
 それから、この草刈り場の処をオシキと云われていますが、このオシキで、草を刈る
ことが出来るのは、大里の村の人でも、昔から決められている家柄の人達ばかりでした。
その他の人達は、オシキまでの道普請ミチブシン(修理)とか道の脇の刈り払いなどをやる
ことになっています。
 
 また、変わっていると云うか、面白いと云うのか、この草刈り場のオシキに草刈りに
入る時、「ホー」「ホー」とみんなで一緒に大きな声で叫びながら、其処へ一斉に入っ
て行く風習になっているそうです。これは、ホーホーと叫んだり、騒げば、馬の泣き声
が聞こえなくなるからです。それでも、聞こえる人は、その年は何か災難があるかもし
れないと云う言い伝えがありました。
 それから、このオシキは花輪の久保田クボタや尾去沢オサリザワの方から良く見えるために、
久保田や尾去沢の農家の人達は、草刈りした後のオシキの処を見て、その年の豊作を占
いました。それは即ち、刈って置いた草が赤又は茶色に乾燥した場合は豊作で、黒く乾
燥した場合は不作になると信じて、気に懸けながら眺めていました。
 
 それから、このオシキへ行く途中の御坂オサカの処に、楢ナラの木が二本生えていて、大里
の村の人達はこれより奥の山に入って行く時は、山での仕事の安全を祈願したり、無事
を祈るために、木の枝でまっか(木の股)を作って、その楢の木の枝に鍵懸けてから山
に入りました。そのため、此処の処を鍵懸け場と云いました。山から下りて帰る時は、
その木のまっかを外してから、家に帰りました。
 その楢の木は残念なことに、今(平成四年頃)から二十年程前に山火事で焼けて倒れ
てしまいました。
 大里から五ノ宮さんの登り口にある鳥居トリイの立っていた処を「鳥居平トリイダイ」と云
い、その上の方を「釈尊平シャクソンダイ」と云って山城ヤマシロがあったと云います。
 釈尊平は昔、戦争の時の見張り場でもありました。
 
関連リンク 「八幡平地区の神様を訪ねて「大里老人クラブ区域内の神様」」
 
[地図上の位置(オシキ)→]

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