52 だんぶり長者伝説
 
                         参考:鹿角市発行「鹿角市史」
 
                           『大日堂由来記』等による
 
 むかし小豆沢アズキザワの根本というところに、長牛ナゴウシから婿にきた若者が年とった
父親と暮らしていた。正直で働き者だったが、いつも貧乏だった。一方、比内ヒナイ(北秋
田郡比内町)の独鈷トッコという村に十六になる親孝行な娘がいた。両親が亡くなり悲しみ
にくれていると夢に白髪の老人があらわれ、川上へ向かうと一人の若者に会う、その者
は二倍も働き者に見える、その男と夫婦になるがよいと告げた。云われた通りにして小
豆沢にたどりつくと、一人の若者が柴刈りをしており、一本刈ると二本倒れ、二本刈る
と四本倒れる程の働きぶりだった。夢の話をすると男は娘を家へ連れて行って夫婦とな
り、仲良く暮したがあいかわらず貧乏だった。ある年のこと、神に供える餅も酒もなく
若者がため息をついていると夢枕に老翁が現れ、我は大日神ダイニチシンである、川上へ行き
広いところに住むがよい、そうすれば長者となるだろう、と語った。妻も同じ夢を見た
というので、次の日男は老父を背負い、女が物を持って川上へ向い、田山タヤマ(岩手県二
戸郡)の奥の平間田ヒラマタという村で田畑を開いた。
 
 夏の暑い日、畑で働いていた男がうとうとしていると、だんぶり(トンボのこと)が
飛んできて唇にしっぽをつけ、二回も三回もくり返した。目をさました若者はうまい酒
を飲んだ夢を見たと言い、だんぶりの飛んでいった方へ行ってみると香りの良い泉がこ
んこんと湧いていた。飲んでみると本当にうまい酒で、飲んだ人は病気が直り、長生き
できた。夫婦は国一番の長者となって大きな屋敷を建て、集まってきた人たちが食べる
米を朝晩とぐと汁が川下まで白く流れ、その川は米白川(=米代川)と呼ばれるように
なったという。
 
 さて二人はどんな望みもかなえられる身の上になったが、四十すぎても子供ができな
かった。そこで大日神に祈願すると女の子が一人生まれ、かしこくかわいらしく育ち、
秀子とも桂子カツラコともよばれた。夫婦が長者の号を拝領するため桂子を連れて都へのぼ
った時、娘は天子の目に止まって宮中へつかえることになり、吉祥姫キッショウヒメと名を変え
て後には后となった。
 そのうち長者夫婦は亡くなり、宝の泉もただの水となって大勢いた人々もばらばらに
なってしまった。吉祥姫はそれを悲しんで天皇に願い、長者が尊んでいた大日神の社を
古里に建てる許しを得た。そこで継体天皇十七年の年に小豆沢に大日堂が建立された。
大日堂の祭堂ザイドが正月二日に行われるのは、長者が夢のお告げを受けた日にちなむと
されている。
 吉祥姫は亡くなる時に古里に埋葬してほしいと言い残したため、大日堂の近くに墓を
作りイチョウの樹を植え、吉祥院という寺が建てられた。五番目の皇子で五ノ宮皇子と
呼ばれた子供は母親をしたい鹿角までやって来て、大日堂の後ろにそびえる山へ登りそ
のまま姿を隠した。この山を五ノ宮嶽とよび、その乗馬が石になったものがばくだ石、
お供の兄弟がやはり石になったものが一の皇子(皇子石)、後から皇子を捜しに来た乳
母夫婦が変わった石が夫婦石メオトイシなどと呼ばれ、今でも登山道にある。
 
関連リンク 「大日堂」

[次へ進む] [バック]