5100八郎太郎物語
 
〈南祖坊ナンソボウとの闘タタカい〉
 千年以上も昔に、南祖坊と云うお坊さんが居りました。
 彼は亡くなった母親の遺言ユイゴンであった「弥勒ミロクの出世」(悩める沢山の人々を救
って下さる仏様が現れること)を願って、紀州キシュウの熊野山に篭コもって願ガンを懸けて
居りました。
 満願マンガン(二十一日間の祈願キガンの終わりの日)の夜、お堂の中で思わずトロトロッ
と眠っていたとき、夢枕に白髪シラガのおじいさんが立って、
「お前の願いを聞き届けるぞ。けれどもその為にはお前は、竜にならねばならない。
 それでも良いな。此処ココに鉄の草鞋ワラジと杖を置くので、杖の教える通りに歩いて、
この鉄の草鞋と同じ物が見付かった時、其処ソコがお前の願いを叶える場所となるのだ」
と言って消えました。
 
 喜んだ南祖坊は、日本全国の山と云う山、湖と云う湖を皆巡って歩いて、一番最後に、
神々コウゴウしくて美しい眺めの十和田湖に来ました。
 ふと見ると、側の洞窟の中に鉄の草鞋がありました。
「あゝ此処が、神様が知らせて下さった場所だな。私は此処に何時までも住むことにす
る」
と言って、湖の岸の岩の上で、有り難いお経を読み始めました。すると湖の底から、
「つまらない人間の癖クセして、何のためにこの尊い処に来たのか。サッサと立ち去って
しまえ」
と、天地に響くような大きな声がしました。南祖坊は、
「お前は何者なのだ。此処は私の住処スミカだ。私は神様のお告げで、此処の湖の主になる
のだ」
と、静かな声で言いました。
「いえ、此処は何千年の前から俺の住処だ。お前が行かないのなら、一飲みヒトノミにして
しまうぞ。」
 その大声で天地が震え、山も崩れんばかりに揺れて、大波の荒れる湖の上に、八つの
頭を持った大きな竜が十六本の角ツノを振り立て、火を吹く舌を捲き上げて浮かび上がり、
南祖坊をただ一飲みと云う勢いで飛び掛かって来ました。
 
 けれども南祖坊は、静かに有り難いお経を唱えて、八郎太郎目がけて投げ付けたとこ
ろ、お経の一字、一字が剣ツルギとなって八郎太郎の蛇体ジャタイに突き刺さりました。南祖
坊がお経を衣の襟エリに挿し、南祖坊も九つの頭を持つ竜リュウとなって八郎太郎の竜に向か
って行きました。
 八郎太郎はまた、自分の着ていたけら(蓑)の毛一本、一本を小さい竜にして、南祖
坊に噛み付かせました。
 こうしてお互いの命を懸けた激しい戦いは、七日七晩も続きましたが、流石サスガの八
郎太郎も、南祖坊の法力ホウリキに負けて、真赤な血を流しながら御倉ミクラ半島を這ハい上が
って、何処ドコともなく逃げて行きました。
 御倉半島の五色岩ゴシキイワ、千丈幕センジョウマク、赤根岩アカネイワの赤いのは、八郎太郎の流し
た血の痕アトであると云います。
 八郎太郎の居なくなると、間もなく十和田湖は元のように静かになり、南祖坊は深い
中の湖ナカノウミの底に潜ヒソんで、湖の主になって暮らしていると云います。
 
〈鹿角の神々との争い〉
 南祖坊との闘いに敗れた八郎太郎は、やがて生まれ故郷の鹿角に帰って来ました。青
垣を巡らしたような山々の高い処に登って、鹿角中を眺め渡したら、ずうっと遠くの西
方米代川、小坂川、大湯川の三つの川が一つに合わさって流れる辺りの、錦木ニシキギの男
神オガミ、女神メガミの狭い谷間タニアイが目に付きました。
「ははあ、あの谷間を埋めて三つの川の水を溜めれば、俺の暮らせる湖が出来るかも知
れない」
と考えた八郎太郎は、毛馬内ケマナイの茂谷山モヤサンを男神、女神の間に嵌ハめることにして、
茂谷山を背負う為に鹿角中のぶどうづら(フドウ蔓)、ふじづら(フジ蔓)を集めて、
長い長い太い綱を綯ナい始めました。
 
 さあ、びっくり仰天したのは鹿角の神様達、
「こりゃあ、大変な事になった」
と云うので、鹿角中の四十二人の神様達が、大湯の下シモの方に集まって評定ヒョウジョウしま
した。因みに、神様達が集まった処につき、其処を今は「集宮アツミヤ」と云っています。
 そのようなことで、茂谷山を背負う気になっている八郎太郎に、石の飛礫ツブテをぶっ
つけることに評定が決まって、その石を切り出す為に、花輪の福士フクシの日向ヒナタ屋敷に
いる十二人の鍛冶に、金槌、鶴嘴ツルハシ、鏨タガネなど沢山作らせ、牛に背負わせて集宮ま
で運ばせました。
 牛たちは、余りにも荷が重たくて、血を吐くのもいたと云います。因みに其処を今は
血牛(乳牛チウシ)と云います。
 
 このような神様達の動きに気付いた八郎太郎は、
「これは駄目だ。神様達に勝てる訳がない」
と言って、茂谷山に懸けた綱を解ホドきました。因みに、茂谷山の中腹辺りに、八郎太郎
の懸けた綱の痕アトが今でも残って見えると云う。
 鹿角から逃げ出した八郎太郎は、米代川を下って八郎潟まで行って、其処の主になっ
て暮らしたと云う。

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