1205私は浄土ジョウドまで行って来た(谷内)
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 私は童子ワラシのときから体が弱くて、何回も大病を患ワズラいました。あれは確か八つの
時で、昭和十七年の春のことです。呼吸器を悪くして切なくなって寝ていたのでしたが、
晩方バンカタ暗くなりかかった頃、寝ていた中座敷ナカザシキの南向きの縁側が急に明るくなっ
たので、見たら一面に金色コンジキに光り輝く広々とした景色が広がっているではないか。
その何もかも綺麗キレイな金色の景色の野原の真中ごろに、川があって、立派な橋が架かっ
ていたのでした。その川のこっち側の道の右側の方には、御先祖さま達だと思える仏様
達が十何人もズラーッと並んでお立ちになっていて、その中では、私を可愛がってくれ
た亡くなったお爺さんの顔だけ覚えていたのです。
 
 私はそのお爺さんから、
「何時イツまでも切ながっていて、無情でならないから、良い処へ連れて行くからな」
と、何回も言われましたので安心したけれども、私は、
「どうしても、今行きたくない」
と、言い争いこどをしているところへ、お母さんが晩飯バンゲママの支度をしていた包丁を
持ったまゝ、私の寝ていた床の側へ、馳ハせて来て、
「大事な童子ワラシだために、そっちにやる訳には行かない」
と大きな声で叫びながら、さこら辺りを包丁で斬る様に振り回したら、輝くように見え
ていた景色が、すうっと消えて、私は息を吹き返したのです。

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