05 杉山の起源(大久保)
参考:八幡平地区連合青年会発行「むらのいぶき(八幡平の民俗)」
杉山の地名はその昔、杉の大木が生えていたいたことから、この地を杉山と呼んでい
たという。
寛文六年(1666)十二月、大日堂火災に遭い、再建なるときにこの杉山の木を運んで
建てたという。
昔は男達にとって力較べは自慢でもあり、楽しみの一つでもあったので、運ぶ事には
馴れていたが、それでも大変難儀したらしい。伐った杉木は熊沢川まで運び、そこから
川沿いに水力を利用して流し、米代川伝いに遡り、今の小山に揚げて、大工小屋を建て
て作業した。大木の削り取った小枝が山のように蓄積したので、その様子からそこを小
山と名付けたという。
このことは次のことでも確かである。
大正中頃に杉山の裏一体の水田地を区画整理した時、大きな根がたくさん掘り出され
たとことを老人は知っており、昭和五十一年同地域の基盤整理をした際にも大きな根が
発掘されている。またこの杉山には、裏山(長根)との間に約五十人役(約四町歩)の
沼地があり、御創前様(駒形神社)を祀っていたとも伝えられる。
しかし、この沼地は年々浅く湿地になって来たので、御創前様が住むには狭く小さく
なったので、馬に跨り、祭霊の地を探し住み移った所が、現在の樫内の奥山にある「作
沢沼」と伝えられている。
作沢沼には、白山神社と称し、駒形神社を祀っている。
[地図上の位置(杉山)→]
[次へ進む] [バック]