04 夜明島ヨアケシマ渓谷「天狗に憧れた武芸者」(夜明島)
 
        参考:八幡平地区連合青年会発行「むらのいぶき(八幡平の民俗)」
 
 その昔、渓流が奇岩怪石を縫うように流れ、青葉若葉を通して陽光がときおり射すよ
うに漏れてくる木の下の小道を、武者風の一人の男が静かに歩みを進めて行く。
 男の歩みはいささか疲れたようだが、鬼偉な容貌は無念無想の思いにみなぎっていた。
 そして、飛瀑の水しぶきを浴びながら飛び石伝いに行く手を千丈幕の断崖がさえぎる
が、男は天狗の導きか、縫うように渓谷の奥深く、姿を消して行った。
 これは今から約四百年も前のこと、ここ鹿角市大字八幡平の曙地内の夜明島渓谷の真
夏の昼下がりである。男の名は大石太右衛門、曙字夏井の郷士で、隣村の宮川(大字八
幡平)一帯にまで威武を誇っていた。持って生まれた武芸への憧れ、そして青年期から
すでに壮年期に入った太右衛門の心の中には、いつか根を張り、武芸修業の志が彼を虜
トリコにしていた。
 
 ”天狗のような神通力を備えた武芸者になるのだ!”
 太右衛門は、夜明島の奥深く住むという天狗に憧れた。齢四十を過ぎた男の悲願は、
夢にも断ち切り得ず、
 「修業成らずば帰らじ」
との言葉を残しただけで、太右衛門は渓谷深く分け入ったのである。
 そして太右衛門の眼前には、中空に架かる絶壁をさえぎるのは千丈幕である。青空に
突き出た崖の果てから、ゴーッ、ゴーッと地響きもろとも、飛沫シブキが、五彩の虹の中
空に描いて落下する。そこは泊滝だった。太右衛門は静かに足を止め、両眼を閉じて合
掌した。
 
 「八幡大菩薩、われに神力を授け給え」
 滝の水飛沫が艶やかな音色に変わって、太右衛門に答える。
 「われは女滝。そなたの願いに添え得ぬ身。許せよ、太右衛門様」
 倣然たる太右衛門の顔を微かに失望の色がかすめたが、一瞬不敵の面構えにかえった。
大小の滝壷に足を滑らして、這うように進む行く手を、またもすさまじき飛瀑がさえぎ
る。高さ三百尺! 渓谷第一の茶釜滝チャガマノタキである。合掌瞑目する。太右衛門の姿を
左手にそびえる金色の万丈幕が浮き彫りにする。太右衛門の祈りに滝は答えた。
 「われはいかにも男滝じゃが、すでに老齢、汝の願いには応えられぬ。許せよ、太右
衛門」
 太右衛門は無念の歯ぎしりをしたが、いかにせん失望に五体を包んで、とぼとぼと往
路をとって返す。
 
 広川原を降り、栗根沢のトッチャカ森まで引き返したとき、心身の疲労に耐え切れず
どっと五体は崩れ落ちた。
 「神にかけた志も、はや我がものならぬ。神も仏もこの世に無きや。夜明島の天狗は
大嘘じゃ」
 うつうつ悩む太右衛門の体内から、何としたことや、このとき放屁一発、大音は渓谷
にこだまして、太右衛門の心事に響き還った。
 「これぞ我が力、まだ失せぬ証拠。とって返して、今一度願おうぞ」
 渾身の力を振り絞り、茶釜滝に引き返した太右衛門は、夜を日に継いで一心不乱に願
い続ける。教えるのは滝の化身、夜明島の天狗。道場はハネ石、トビ石だった。水を飛
び、石を潜り、血の修業が続いた。ある年の一日、太右衛門の五体は、十間余り距って
いるハネ石、トビ石を見事に飛んだ。
 
 因みに、夜明島の語源は不詳であるが、現在の太右衛門氏は昔、アイヌが呼び慣わし
たという。ヨ(非常に)アケ(神々しい)シマ(きれいなところ)の郷愁を味わうこと
である。

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