(二)
曽経共侍中     曽経カツテ侍中ヂチュウを共にす
了知心表裏     了知す、心の表裏
雖有過直失     直に過ぐるの失有りと雖も
嬌曲孰相比     曲を嬌タムると孰イヅれか相アヒ比せん
東涯第一州     東涯トウガイの第一州
分憂為刺史     憂を分ちて刺史シシと為る
盈口含氷雪     口に盈ミちて氷雪ヒョウセツを含み
繞身帯弦矢     身を繞メグって弦矢ゲンシを帯ぶ
僚属銅臭多     僚属リョウゾク銅臭ドウシュウ多し
鑠人煎骨髄     人を鑠トカして骨髄コツズイを煎イる
土風施(糸扁の施)布悪 土風施(糸扁の施)布シフ悪し
殷勤責細美     殷勤インギンに細美を責む
兼金又重裘     兼金ケンキン又重裘チョウキウ
鷹馬相共市     鷹馬ヨウバ相共に市アガナふ
市得於何処     何れの処よりか市アガナひ得たる
多是出辺鄙     多くは是れ辺鄙ヘンピより出づ
辺鄙最廣(獣扁+廣)俗 辺鄙は最も廣(獣扁+廣)俗クワウゾク
為性皆狼子     性を為す皆狼子
価直甚蚩眩     価直カチョク甚だ蚩眩シゲン
弊衣朱与紫     弊衣朱と紫と
分寸背平商     分寸平商に背けば
野心勃然起     野心勃然として起る
自古夷民変     古より夷民イミンの変
交開成不軌     交開カウカイ不軌フキを成す
邂逅当無事     邂逅カイコウ無事に当っては
兼贏如意指     贏エイを兼ぬること意指イシの如し
惣領走京師     惣スベて領して京師ケイシに走り
予前顔色喜     予前ヨゼンに顔色喜ぶ
便是買官者     便スナワち是れ官を買ふ者
秩不知年幾     秩チツ年に幾ばくといふことを知らず
有司記暦注     有司暦注レキチウに記す
細書三四紙     細書三四枚
帰来連座席     帰来座席を連ね
公堂偸眼視     公堂に眼を偸ヌスみて視る
欲酬他日費     他日の費を酬ひんと欲し
求利失綱紀     利を求めて綱紀カウキを失ふ
官長有剛腸     官長クワンチョウ剛腸ガウチョウ有れば
不能不切歯     歯を切クイシバらざる能はず
盗人憎主人     盗人は主人を憎む
致死識所以     死を致せる所以ユエンを識る
 
 二人はかつて同じ蔵人所に勤めていたことがある。滋実は仁和二年から蔵人になって
いた。五年後れて、讃岐から帰郷した公が蔵人頭に任ぜられたので、上司と下司との間
柄であった。それで公は滋実の性格をよく知っているのである。彼は剛直で、とかく人
と衝突する欠点はあったが、要領本位で融通の利き過ぎる人物が多かった時代とて、公
はこれを高く買っていた。やがて彼は、東の涯なる、大国陸奥の国司となって赴任した。
 
 当時は全国六十八ケ国を、大国・上国・中国・下国に区別し、下国は九ケ国、中国は十一
ケ国、上国は三十五ケ国、大国は十三ケ国である。陸奥はその最上位の大国だから、国
司は従五位上の相当官で、職員は中央政府で任命する守から史生まででも十五人、それ
以外に厩別当・書生・雑色・検非違使・押領使など夥オビタダしい数に上るので、その羽振り
は大したものである。赴任の時罷申マカリモウシに参内すると、勅語が下され、御衣御馬など
を賜る。吉日を選んで出発すれば、美々しい行列を見ようとて沿道は見物人が黒山を築
く。国府の役人は境迎サカイムカエに出る。陸奥の国では、国人が武隈の松まで出迎える例で
あった。国司の任務は戸口・農桑・裁判・検察・租税・夫役・軍備・公文書の令達等、行政・司
法・警察以下庶務の事一切を掌るので、毎日出勤して事務を執らねば追い付かぬ。部下の
取締は勿論、管下の郡司をも監督する。
 
 今昔物語を読むと、日向守某は帳簿が合わぬので、新任国司の来るまでに、事に馴れ
た下役に命じて都合よく帳簿を拵コシラえさせ、後日にばれるのを防ぐためにその下役を殺
したとあるが、公の他の詩「意を叙ぶ百韻」中の太宰府官人の腐敗振りと云い、税や官
物を誤魔化したり、賄賂を取ったりして、私腹を肥やすのは当たり前になっていた。
 官吏になると、こんな汚い汁が吸えるから、金で官を買う者も出て来る。そんな者を
賎しみ嘲る語が「銅臭」であるが、とにかく儲け得る人が利口者だと考える人が多いか
ら、そんな者は次々に出て来る。「銅臭」の人は徳義の観念は無く、欲のためには人を
煮殺し煎殺すような鬼畜の業もやるのである。「人を殺して骨髄を煎る」のである。
 ところが、滋実は断じて不正を忌む男である。「口に盈ちて氷雪を含み、身を繞って
弦矢を帯ぶ」とは、口に巧言なく、身を持する厳正で、不正を容赦せぬことを云ふ。茲
に悲劇が生まれたのである。
 
 さて奥州産の衣陸奥ミチノクの衣と云えば、粗悪品の代表名で通っているようにお粗末な
のであるが、この地方の者は柄にもなく贅沢品を好む。そこで精巧な織物が、「陸奥山
に黄金花咲く」の良質の金や、立派な皮衣や、鷹や馬などと市場で交換される。これで
役人は私利を営むのである。
 その良金や皮衣は何処で交換して来たかと云えば、大抵人里離れた山奥であるが、こ
の方面の住民は、真に馴れ難く、ともすれば謀反を起こし易い者共である。景行天皇が
日本武尊に東夷征伐を命ぜられた詔の中にも、「東夷は性暴強、凌犯するを宗となす。
村に長無く、邑に首なく、各々封界を貪り相並んで盗略す・・・・・・山に登ること飛禽の如
く、草を行くこと走獣の如く、恩を承けては則ち忘れ、怨みを見ては必ず報ず・・・・・・」
とある。身には朱と紫のあくどい破衣を纏マトい、商売には抜目がなくて、人を詐欺ペテン
にかけることを得意にしている奴輩である。
 「蚩眩シゲン」は侮り眩クラますこと。張衡の西京賦に「辺鄙を蚩眩にす」とする。
 
 彼等は一銭一厘の損をさせられても嚇怒して一揆を起こす。昔から夷民の反乱は、大
抵こんなところから起こっているものだ。無事の時はせっせと儲けた金子を懐中にして、
京に出掛ける。官を買うためだ。任用が決まる前から、ほくほくしている。彼等は自分
が買う官が年間幾らの俸給になるかも知らず、ただ、お役人になりさえすれば、名誉と
権勢と、そして利権にありつき得るとばかり信じ込んでいるのだ。
 して見ると、中央政府の紊乱ビンランも想像出来る。王朝時代には、貴族の奢侈遊宴・仏
閣の造営などのため、税だけでは賄い切れず、官を売っていたのである。後年、公の孫
大内記菅原文時が、封事三ケ條を上り、中に「買官を停めんことを乞ふ事」があるのは、
史上に著しい。
 
 「○○の官に任ず、某月某日」と記した辞令を貰うと、鬼の首でも取った気になって、
家に帰ると早速披露宴を開いて見せびらかす。役所でも執務の間に間に、人目を忍んで
辞令書を盗み見ては、ほくほく顔をしているのである。
 この辺り、公も讃岐守を務めた経験で、よく事情に通じておられる。
 ところが俸給を貰って見ると、以外に少ない。当てが外れる。莫大な資本を投じてい
るのだ。それで買官の折の出費を取り戻そうとして、不正を働くようになる。勝手も利
くのだ。この時、上官が剛直で清廉であれば、切歯憤怨せざるを得ない。
 滋実君よ、君は定めし生来の剛直とて、厳にこれら部下の不正を糾弾し、彼等の破廉
恥を摘発叱責したのであろう。盗人は捕らえられると、盗まれた人を怨むとか云うが、
君が殺されたのも、そんなところからだろう。
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