02b 鹿角歴史年表(青字は『白鳥伝説』による)
 
建武3(1336) 一一月、足利尊氏が幕府を開く(室町幕府の成立)。 
延元元・建武3(1336) 1月足利尊氏九州に敗走
        6月尊氏、上京
        11月尊氏幕府を開く
        12月後醍醐天皇吉野遷座
        △正月成田六郎左衛門尉、南部師行・同政長らと共に、津軽藤崎城・平
         内城を守り北朝方曽我貞光らと戦う。
         8月1日鹿角郡国代成田小二郎左衛門尉を対治ママのため、北朝方の
         比内浅利清連と津軽平賀曽我貞光代官曽我光俊が大里楯を攻撃した。
 
延元2・建武4(1337) 1月北畠顕家霊山に入る
        8月顕家再び西上す、南部師行らこれに従う
        △7月11日浅利清顕は曽我貞光勢と共に鹿角郡に討ち入り、二藤次楯
         ・當(雷)楯・大豆田楯を落とし、同14日大里楯に押し寄せたが遂に
         抜くことが出来ずに退いた。
 
延元3・暦応元(1338) 5月顕家軍高師直軍に敗れ、石津で顕家、師行ら討死す
        足利方石塔義房奥州総大将となり多賀国府に入る
 
延元4・暦応2(1339) 8月後醍醐天皇崩御
        北畠顕信を陸奥介・鎮守府将軍に任命する
        南部政長、津軽岩楯城を攻撃
        △3月成田小次郎左衛門尉ら津軽大光寺楯を攻撃し、その外楯を落と
         して三ケ月滞陣、曽我貞光と激戦繰り返す。
 
興国2・暦応4(1341) 石塔義房、津軽曽我一族に命じ、糠部の南部諸城を攻撃させ
        る。南部政長、根城に入って防戦する
        △鹿角南朝方瀧瀬彦次郎以下、その路次を打ち塞ぎ防戦す。
         12月北畠顕信は御教書を発し、鹿角合戦に忠節を尽くしたとして南
         部信政を褒賞した。
 
興国3・康永元(1342) 南朝方主力結城親朝が足利尊氏に降伏した
        △2月北畠顕信、成田三郎左衛尉を使節として結城親朝の許に派遣し、
         国府奪回の出兵を命ずる。
 
正平2・貞和3(1347) 南朝方の拠る霊山と宇津峯両城が北朝方奥州管領勢に制圧され
        た
 
正平17・康安2(1362) 北畠顕信、津軽に浪岡城を築くと云う
 
元中9・明徳3(1392) 南北両朝の合一
 
応永18(1411) 南部守行、秋田刈和野において安東鹿季と交戦す
        △鹿角郡に秋田勢が侵入したが八戸南部光経の奮戦により撃退、やが
         て南部勢鹿角に凱旋すと云う。
 
永享4(1432) 一〇月、津軽の安東康季が南部氏に攻められ、十三湊を捨てて松前
に逃れる。

永享4(1432) 南部義政、津軽十三湊を攻略し、安東康季松前へ逃ると云う
 
嘉吉3(1443) 義政再び十三湊を攻め福島城などを落とす。安東氏松前へ去る
 
康正2(1456) 南部氏、出羽仙北に湊安東氏と戦う
        下国安東政季、檜山に入る
 
長禄4(1460) △安東師季(政季)、小豆沢大日堂に若狭国遠敷郡金屋で鋳造の堂
          鐘を寄進した。

応仁元(1467) 五月、応仁の乱が起こる。
 
大永4(1524) 南部安信、四弟をして四隣を固めしむと云う
        △安信、五弟秀範(信次・毛馬内氏祖)を毛馬内城に入れて安東氏に備
         える。然る後に次弟高信に兵を授け津軽を討たせたと伝える。
 
天文8(1539) 南部晴政、将軍義晴の偏諱を拝領、四隣に威を振るう
        △この前後谷内館、長牛館、石鳥谷館など一戸南部氏に攻略される。
 
永禄元(1558) 安東愛季浅利氏を降し、鹿角攻略を目指す
 
永禄9(1566) △9月頃安東勢ら比内・鹿角内応の勢を加えて一斉に侵攻し、まず石鳥
         谷城を攻め落とす。南部勢は長牛城に籠城して戦い、救援の岩手勢
         は寄せ手に敗れ兵を帰す。
 
永禄10(1567) △2月末長牛城で激戦続く。
         10月安東方大高主馬谷内城を囲み撃ち、次いで長牛城を陥落、長牛
         氏らは三戸へ逃れた。
 
永禄12(1569) △鹿角出陣のため南部信直勢来満路を越えて大湯へ出、九戸政実勢は
         七時雨路を越え三ケ田に陣を布く。南北より安東方を挟撃して郡外
         へ追い、鹿角を回復す。
 
天正4(1576) 伊勢国司北畠具教、織田信長のために滅ぼされる
        △北畠具教の遺児昌教、家臣井上専正の庇護により大湯上折戸の昌斉
         館に陰住し、後に折戸氏を称したと云う。
 
天正6(1578) 大浦為信浪岡城を攻略、北畠顕村自刃、北畠氏滅亡
 
天正14(1586) 南部信直斯波氏を滅ぼす
 
天正16(1588) 南部氏の勢力津軽を撤退、津軽一円大浦為信掌握する
 
天正17(1589) △4月南部勢が鹿角郡より比内に侵入し、大館城を攻略した。
         阿仁米内沢塚の台で秋田方奈良惣五郎に南部方萱森判官が討ち取ら
         られる。
 
天正18(1590) 南部信直小田原に参戦し、秀吉より南部内7郡(鹿角を含む)を安堵
        される
        秀吉奥州仕置を進める
        △大光寺左衛門正親花輪城代となる。
 
天正19(1591) 九戸政実の乱起こる
        奥州再仕置軍下向し、九戸城落城す
        信直、和賀・稗貫加増さる
        △九戸方大湯四郎左衛門の鹿倉城を大光寺左衛門攻略す。
         浅野長政家来内山助右衛門、鹿角の各館を破却した。
 
文禄4(1595) 秋田実季と浅利頼平、比内に合戦
 
慶長3(1598) △1月25日南部信直、秀吉に鹿角の木材を献上す。
         この春北十左衛門、白根金山を発見す。
 
慶長4(1599) △槇山金山、続いて五十枚金山発見される。
 
慶長5(1600) 9月関ヶ原の戦
        △豊臣五奉行の長束正家の一族、二本柳に土着。
 
慶長7(1602) △西道金山発見される。
(以下略)
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