03 歌枕のくに
 
 三十六歌仙の一人能因法師(998〜1050)は、十一世紀初めの『能因歌枕』にいわゆる
歌枕として挙げられている数は、陸奥国四十二ケ所、出羽国十九ケ所で、その中に「に
しこきとはたきき(薪)をこりてあつま(東)のえびす(夷)のけさうふみ(懸想文)
やるにつけて」云々の文となっている。
 井上隆明氏は「秋田の歌枕は、後世分を含め、次の六ケ所である(但、象潟以外は正
確な場所不詳)」として、
 
錦木 袖中抄、後拾遺、詞花集、千載集、堀河院百首、六百番歌合、千五百番歌合、新
 後撰集、奥儀抄、藻汐草
象潟 能因集、重之集、後拾遺、色葉、堀河百首、六百番歌合、新古今、八雲御抄、林
 葉集、北院御室集
狭布ケフの里 古今、後撰、後袖中抄、奥儀抄、無名集
奈曽の白滝 夫木集
平鹿のみ薦 藻塩集
むやむやの関 色葉集、土御門院御集、八雲御抄、夫木集
 
を挙げている。
 
 歌枕は、歌にしばしば詠まれる題材・風物・名所のことで、元々その所在について諸説
を生むことが多い。例えば橘南谿『東遊記』後編に、四七錦木として、
 「錦の古跡は、南部領と津軽領との境、小湊と云う所の傍カタワラにあり、かい道より東
南の方へよほど入込みたる所なり。其跡に、ツキと云う木の桧木に似て殊に大木なるが
壱本残り有りしが、四五年以前に雷火にて其木焼失せりと也。又南部三の戸の西の方の
在ザイ中に錦木の古跡とて、巡見使なども一見の地ありと云う。何れが誠の古跡なるに
や。」
と記され、『東国名称志』には「錦木塚は安佐虫アサムシ、小湊の間にあり、にしききの里
ここなり。それより狩場沢馬門を過てけふの里なり」と書いている。『陸奥古碑集』の
解読文には「野内村久栗坂一基。伝説に同所に古碑ありと、錦塚の一説もあり又一説に
安倍氏の墓石なりとも云へど何れも要領を得ざるなり」とある。また『伊達郡誌』に「
錦木塚(伊達郡国見町)。もとの森江村大字塚野目字錦塚、林の中に円丘、かつて発掘
し古鏡を得たという」とし、鹿角錦木塚と同様の和歌や同工異曲の伝説を掲げている。
 仙台藩相原友直(1703〜82)がその著『平泉雑記』東鑑アズマカガミ訓點の項で「希婦ヲ
キフト訓せり、是モ南部領鹿角郡狭布ノ事ナルベシ、ケフト訓ず」と述べている。
 
 「狭布の里」「京の里」を鹿角郡内とする説は、かなり古くから流布していたと思わ
れる。正中二年(1325)九月「安藤宗季譲状」の、子息犬法師への一節に、
 「ゆつりわたす つかる(津軽)はなわ(鼻和)のこほり(郡)けんかしま(絹家島
)しり(尻)ひきのかう(郷)かたのへん(片野辺)のかうならひにえそのさたぬか(
糠部)のふうそり(宇曽利)のかう(郷)(以下略)」とある文中、『青森県史』では
「えそのさた」とし、『岩手県中世文書』では「えそのさと」と読み、これを蝦夷の沙
汰とすれば蝦夷地の管理権を意味し、蝦夷の里と採れば「京の里」鹿角郡に対置した表
現となり、糠部四門のうち六戸・七戸の北門に当たると云う。このような争点に「京の里
」として鹿角郡が引用されるのも、その観念が古くからあったとの想定に立つものであ
ろう。
 
 天明五年(1785)八月、初めて鹿角に杖を曳いた菅江真澄は、「毛布ケフの渡ワタシ」を渡
し舟で越え、古川村で稲刈の女に教えられて錦木塚を探しあてた。「すこしもみぢたる
木々生ひまぢりたる中に、土小高くつきあげて犬のふせるがごとき石をすへたり」と、
感慨をもって長文の紀行を書き残している。古えの歌枕を尋ねることを旅の目的の一つ
にしたと云われる真澄が、
 
 錦木の朽ちしむかしをおもい出て 俤にたつはじのもみじ葉
 細布の胸あはざりしいにしへを とへばはたおる虫ぞ鳴くなる
 
と詠み、やがて鹿角から二戸へ入り盛岡・花巻・黒沢尻を経て江刺に至る四ケ月の旅行記
に『けふのせばのの』と名付けていることは、「けふの里」鹿角に余程の興を持ったか
らであると言える。
 
 江戸時代、将軍の代が替わる毎に、各藩の施政や民情を視察するため巡見使が諸国を
廻るを例としていた。天明八年(1788)古川古松軒が幕府巡見使に随行し、その見聞を
『東遊雑記』十二巻に著している。九月四日「大湯村より南一里二十町に錦木塚という
あり、御巡見所なり。少しき山にて、方四間余、高さおよそ三尺五寸余にて傍に岩一つ
あり。杉の大樹一本繁茂す。外には小杉生いてあり。狭布の里といえるはこの辺すべて
の惣名とす」。巡見使の旅程、順路は古例に従って定められており、巡見使通行の度毎
に錦木塚に巡見所が設けられ、公式行事として古川村黒沢兵之丞が錦木塚・狭布の里の由
来を一巻の巻物に従って申し上げ、持ち伝えてきた古の細布をご覧に入れ、新たに織っ
た一巻ずつを進呈するのが習わしであった。この一事を以ても、他に何ケ処かある陸奥
の歌枕錦木塚・狭布の里の中で、いわば此処が広く知られた名所となっていたのである。
関連リンク [名所歌枕:錦木塚]
関連リンク [07歌枕の郷]
関連リンク 鹿角物語[53錦木塚伝説・錦木塚物語]
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