[鹿角の時は流れ行く]
[鹿角郡の鉱山]
『諸山開立年限附』とは、幕末の頃の盛岡藩内の各種鉱山
を網羅して書き上げたものとされ、金山、銀山、銅山、鉛山、
鉄山などに分記され、「金銀銅鉛鉄山都合二百五十八ケ山、
内公義御書上之分四十一山有」とされている。
そのうち鹿角郡の金山は十九ケ山である(文章の一部を省
略)。
一、毛馬内通白根御山 慶長三年見立、暫時大盛、其後寛文
九年銅山に相成る。宝暦五年より金山相働ク、御銅山より二
里半。
一、花輪通西道御山 慶長七寅年見立初。西道金山見初て相
働き今ニ帯刀屋敷とて古屋敷有之。
一、花輪通長坂御山 御銅山之内、元禄八年銅山見立、同九
年金山ニ相成り夫より大直り。
一、同通五拾枚御山 御銅山之内、慶長四年見立。其後同十
二年御礼金五十枚差上候ニ付夫より五拾枚と申候。
一、同通夏山御山 御銅山之内、寛文三年見立。
一、同通鶏長根御山 御銅山之内、正徳三年二月見立。
一、同通平津沢金山 真金山銅山之内。
一、同通黒沢御山 金躰並ニ鉛共。
一、同通大煙御山 田郡銅山煙鋪有之。
一、同通笹平赤沢御山 御銅山之内。
一、同通南平御山 御銅山赤沢御山之内。
一、花輪通崎山御山 御銅山より三十丁程、元禄九年見立。
一、花輪通御銅山附真金御山 御銅山より三里三十丁程、慶
長四年見立、金山暫大盛。古名は巻山、後槙山、以後真金山。
一、同通黒崎御山 御銅山附夜明嶋御山之内、天保四年二月
古敷見立。
一、同通称宜崎御山
一、同通一ノ渡御山 夜明嶋之内、但古敷見立。
一、毛馬内通駒木御山 白根金山より十丁程。
一、同通立石御山 白根御山ノ後、天和三年見立。
一、花輪通田山村切通御山 安永七年閏七月見立。
鹿角郡内銀山は六ケ山である。
一、毛馬内通十和田銀山
一、毛馬内通十和田山ノ内津軽御境続銀山
一、同御境附小坂村兎尻山銀山
一、同小坂村古遠部沢ノ内栃久保銀山
一、花輪通大堀内銀山
一、同長内村黒沢銀山
鹿角郡内銅山は二十二ケ山である。
一、花輪通尾去沢御銅山ノ内田郡沢銅山
一、同元山銅山
一、同赤沢山銅山
一、同小赤沢銅山
一、同夏山銅山
一、同長坂銅山
一、同崎山銅山
一、同赤沢ノ内泥木銅山
一、御銅山附真金山銅山
一、真金御山ノ内比良沢大作りノ沢両銅山
一、毛馬内通御銅山附白根銅山
一、同通四角嶽銅山
一、同御境附瀬田石村立石タテイシ銅山
一、同不老倉フロウグラ(狼倉オイヌクラ)銅山
一、同鴇トキト銅山
一、花輪通花輪村附外山小繋沢川口下板屋平鉛銅山
一、毛馬内通小平村小折壁大平銅山
一、同外山前ノ沢銅山
一、同通柴内村外川目細津沢銅山
一、同通水晶森并小夏平銅山
一、花輪通三ツ矢沢御境附御山の内法の角ケトの沢両銅山
一、毛馬内通番鳥沢銅山
鹿角郡内鉛山は十五ケ山である。
一、花輪通御銅山附大堀内鉛山
一、同小堀内鉛山
一、同夜明嶋鉛山
一、同湯瀬村居熊井オラクマイ鉛山
一、同長内村黒沢鉛山
一、毛馬内通小坂村古遠部沢ノ内栃久保鉛山
一、同十和田鉛山(十和田台倉、台蔵鉛山とも)
一、同四角嶽鉛山
一、同不老倉ノ内地森沢鉛山
一、同御境附ノ内砂子沢山ノ内北ノ亦鉛山
一、同大湯村ノ内悪谷小又立又鉛山
一、同不老倉銅山ノ内内貫鉛山
一、同小坂ノ内鍋久保鉛山
一、同杉原鉛山
一、花輪通槙山鉛山
一、毛馬内通御境附兎尻鉛山
鹿角郡内鉄山は一山である。
一、毛馬内通荒川村小滝鉄山
同「書抜山」
一、花輪通荒沢硫黄山
一、花輪通熊沢硫黄山
一、毛馬内通高井場火石(燧石ヒウチイシか)
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