[鹿角の時は流れ行く]
12 消える古道
鹿角地方の主たる産物は、歴史的に「金」などの鉱物資源
である。
金や銅の鉱山は、鹿角には無数にあった。
これらの鉱物資源の生産に関して、諸々の人達の移動、そ
れに伴う食糧、特に海産物などの移入があった。
鹿角の特産物としてこのほかには、「けふの細布」や「茜
染」「秋田杉の酒樽材」などが京や大坂、江戸へ運ばれた。
また鹿角は、京や江戸〜盛岡から津軽への街道筋でもあっ
た。
ともあれ鹿角の交通網は、鉱物資源の運搬に重きを置いて
発達したのである。
日本人の創った色(紫)
鹿角の紫根染と茜染
〈鹿角南部〉
01天狗橋の由来
盛岡から鹿角へは、米代川の湯瀬峡谷を経由することが、
最も短い行路であるが、昔は人力では道を切り開くことは不
可能であった。
そこで、夜明島ヨアケシマの天狗達によって、湯瀬峡谷に「天
狗橋テングバシ」が架けられたと云う。
即ち夜明島伝説に、一夜のうちに湯瀬峡谷に天狗橋を架け
終えた天狗が、今度は長牛川若狭淵ワカサブチに橋を架けようと
したが「仙北海道にいたしべしと釣木ツリキ引懸候時、夜明け
候故ニ付此川を夜明ト云」とある。
こうして、天狗の架けた天狗橋によってようやく湯瀬峡谷
が通れるようになった。
天狗橋
鹿角物語[0401天狗の飛び去った夜明島]
02田山から花輪越えの道ルート
このように湯瀬峡谷は人馬が通れなかったので、盛岡から
鹿角への道の一つに「花輪越えの道」がある。
盛岡から寺田(西根町)、荒屋(安代町)、田山を経て瀬
ノ沢川を通り、花輪越えを越えて鹿角に至る道である。
田山への道「花輪越」
鹿角物語[5802皮投岳物語]
鹿角物語[5803十二川原と鹿角鎌の由来]
03田山から谷内への道
田山から湯瀬、板倉沢、八森南側を越えて谷内に至る道や、
湯瀬から長嶺へ至る道などもある。
長嶺に至る道筋には、牛渡ウシワタリや塩俵シオダワラなどの地名が
残っている。
鹿角物語[1201八森山の舞台石]
04「細野道」
細野道は岩手と鹿角、比内を結ぶ東西連絡の最短距離でし
た。
近世においても鹿角の鉱産物を盛岡へ運び出すために、こ
の細野道を通ったと云う。
細野道は、七時雨山付近から御月山(烏帽子森)、細野(
安代町)を経て、鍋越沢ナベコシサワ、桂久保カツラクボ、野沢欠
ノザワカケ峠、袰部ホロベを通って寒背サムノセ峠で鹿角へ入る。
続いて深フカから坂比平サカビタイへ出て熊沢川に沿って夏井、
長牛ナコウシ、桃枝ドウジを経て、巻山峠を越えて比内大葛オオクゾ
へ至るのである。
また、鹿角側黒沢の黒沢越を越えて、巻山峠の南の大谷越
オオヤゴエから比内側大谷へ出る道もあった。
寒背峠
巻山(真金山・槇山)峠
05仙北への道
仙北センボク郡(古代山本郡)へも古くから交通路が開けて
いたと見られる。
この道は近世に入って、御境番所として熊沢番所も置かれ
ている。
熊沢川を遡り、熊沢から大場谷地オオバヤチに出て、鹿湯シカユ
(玉川温泉)を経て、玉川の上流へ辿り着くのである。
大場谷地から仙北への道
鹿角物語[07へそこだま物語・岩上神社]
鹿角物語[5601オナメ・モトメ(八幡平後生掛温泉)]
鹿角昔話[40屁垂れ嫁っこの話]
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