06 石燈籠の読み方(要点)
参考:誠文堂新光社発行「石燈籠新入門」
〈全体の読み方〉
「石燈籠を読む」とは、石燈籠そのものを読むことです。由緒ある所在地や由緒あり
げな所在状態、関係口碑などに惑わされてはなりませんし、関係史料を読むことでもあ
りませんが、これらを参考にしながら、石燈籠そのものの全体や細部を読むことです。
そして、製作年代・製作地、出来れば作者或いはその所属系統などを読みとるのです。な
お、風化度や欠け具合や苔の付き具合は、石燈籠そのものではありません。これら後世
の変容を取り去り、製作当初に戻しながら見ることも、石燈籠を読むことの一部です。
便宜上、全体の読み方と細部の読み方に分け、全体の読み方から述べます。
全体の読み方には、型タイプ・形・大きさ・石質など色々な読みどころがあります。
基本型の四角・六角・八角型の形(全体観)については、各時代に次のような特色があ
ります。
△奈良・平安時代
奈良・平安時代には完全な遺品がないので、よく分かりませんが、遺っている僅かな部
分や同時代の金燈籠・朝鮮の新羅統一時代の石燈籠などを参考にすると、次の鎌倉時代の
特色をより極端にしたものであったと考えられます。
△鎌倉・南北朝時代
鎌倉・南北朝時代の石燈籠は、中台より上部が大きく感じられ、その重い部分を一本の
円柱で力強く支えていると云う感じです。上部の中でも特に火袋が大きく、如何にも石
燈籠の主体部らしい取り扱いがなされています。その火袋の大きさに合わせて中台や笠
も大きい訳ですが、決して火袋の大きさを殺してしまうような大きさではありません。
全体的に安定していて力強く、荘重の趣があります。
南北朝時代になると洗練されますが、全体としての重みが減じ始め、次の時代への過
程を示すものが出て来ます。
△室町時代
室町時代は、鎌倉時代の火袋中心の傾向が守られていながらも、中台や笠が、火袋を
やや凌いだ感じになります。また、全体観よりも部分やその装飾に気が配られ、何とな
く弱々しくなります。鎌倉時代のものを男性的と云うならば、これは女性的とも云うべ
く、全体に重みと力の欠く華奢キャシャな感じになります。しかし、火袋中心としての全体
の均衡は未だ保たれています。
△織豊時代
織豊時代の頃から火袋中心の傾向が失われ、他の構成部分がそれぞれ火袋を凌いで発
達し始めました。特に竿が、火袋の幅と変わらない位太くなったものもあります。その
上中台の厚みも増し、何だか中台が石燈籠の中心と云ったような感じになります。この
中台以下の大きさに対照させて、笠も大きく重くなります。各構成部分がバラバラで硬
直しており、造形美術としての観賞に耐え切れないものも多くなります。とは云うもの
の、室町時代のものと変わらない立派なものも引き続き造られています。
△江戸時代以後
江戸時代以後は、部分とその彫成に重点が置かれて、全体観が忘れられる傾向へ進み
ました。その結果、各構成部がバラバラに肥大したものや、屋根のある複雑な形の一本
の石柱と云った感じのものとなりました。尤も、鎌倉・室町時代の模倣として、火袋の比
較的大きなものも造られますが、どことなく均衡と力強さに欠けました。
明治・大正から今日に至るまで、特殊なものを除いて江戸時代の傾向が続いています。
明治以後は、構成部分の更に細分である中台・火袋の彫刻、笠の蕨手、宝珠の尖端や請
花が益々発達する傾向を示しています。
次に大きさについては、基本型と変化型では大分事情が違うとは云え、大まかには次
のようです。
変化型の展開する以前においては、建立場所によって大小のあることは云うまでもあ
りませんので、特別大きなものや小さなものがなく、自然に大きさに限度がありました。
高さ二米強位のものが多いようです。ところが、江戸時代に入ると、基本型では高さ八
米もあるもの、変化型では高さ2,30pのものも造られました。
また現在では、卓上用や床飾用の小型の燈籠もあります。つまり、標準よりも極端に
大きかったり小さかったりするものは、江戸時代以後のものでしょう。
石質については、特に時代による相違を指摘出来ません。ただ、鎌倉・南北朝時代の名
品の殆どや、江戸時代以後でも細工の細かいものには、上質の花崗岩が用いられていま
す。凝灰岩のような比較的軟質な石は、あらゆる時代に亘って用いられていますが、そ
の割合が平安時代以前で特に多かったようです。そのことと、平安時代以前の遺品が少
ないことと関わりがあります。
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