99 賜号とは
 
                     参考:吉川弘文館発行「古事類苑」ほか
 
[諡号シゴウとは]
僧侶に号を賜ふことは、其の種一ならず。
単に諡オクリナを賜ふことあり、大師号あり、菩薩号あり、禅師号あり、国師号あり、和尚
号あり、上人号あり。
要するに其の徳を尊尚するの意に外ならず、而して天皇の師たるを以て主とすれども、
多くは其の徒の請ふ所に出づるなり。
単に諡を賜ふことは、清和天皇貞観九年壱演を慈済と諡せしに始り、歴世数人に過ぎず。
四条天皇の時、慈円に諡して慈鎮と云ひしより、以後寥々として、聞ゆること尠し。
 
大師号は、諡号の尤も重きものにして、清和天皇貞観八年を以て、最澄に伝教大師と賜
ひ、円仁に慈覚大師と賜ひしに始る。
其の後醍醐天皇延喜二十一年には、空海に弘法大師と賜ひ、延長五年には円珍に智証大
師と賜ひ、延慶元年には益信に本覚大師と賜ひたり。
是より以来、此挙殆んど絶えたりしが、徳川幕府の時に至り、天海に慈眼大師と賜ひ、
源空に円光大師と賜ひしが如きは、尤も特典に出でたるものゝ如し。
 
菩薩号は、後伏見天皇の時、西大寺の僧叡尊に興正菩薩の五を賜りしを以て始とす。蓋
し叡尊は菩薩戒の師たるを以ての故ならん。
是より前に、僧行基等を菩薩と称せしことありしかど、当時其の人を尊敬するに出でた
る称にて、朝廷の賜ふ所にあらざるなり。世行基を以て菩薩号の始としたるは誤なり。
叡尊の後、後醍醐天皇の世に、応量に大悲菩薩の号を賜れり、また律僧なり。
尋で光明天皇の時、日蓮に大菩薩の号を贈れり、是れ大菩薩号の始にして、また諡を賜
はずして単に菩薩の号を贈る始なり。
徳川幕府の時に至りても、此事猶ほ行はれて、役小角に神変菩薩の号を賜へり。
 
国師号は、花園天皇の時、弁円に聖一国師の号を贈りしに始り、専ら禅宗の僧侶に賜ふ
所にして、其の位置禅師の上に在り。
禅師号は、後宇多天皇の時、宋国の僧道隆に大覚禅師の号を贈りしより以来、禅宗の僧
侶には、禅師号を賜ふこと多くして、生前に賜ふものもあり。
而して国師、禅師等の号は、一人一号を以て例となしゝが、源空、疎石、中津、隠元の
如き、歴代天皇の師となりたるものには、特に徽キ号を累贈することあり。
 
和尚号は、其の始め詳ならず。
聖武天皇の時、唐僧鑑真に、大和上の号を賜ひしは、戒律の師主の義なり。
足利幕府の時には、勅許を蒙りて之を称することゝなり、多くは生前に賜れり、別に徽
号なし。
上人号は、原と敬称なりしが、足利幕府の時より、並に勅許を蒙りて、之を称すること
ゝなれり。而して禅師、和尚、上人の如きは、私称するも、禁ぜざるなり。
 
[大師号一覧]
天台宗の伝教(最澄)・慈覚(円仁)・智証(円珍)・慈摂(真盛)・慈眼(天海)
真言宗の弘法(空海)・道興(実慧)・法光(真雅)・本覚(益信)・理源(聖宝)・
 興教(覚鑁)・月輪(俊仍(草冠+仍))
浄土真宗の見真(親鸞)・慧灯(蓮如)
曹洞宗の承陽(道元)・常済(瑩山)
 
臨済宗の無相(関山)・微妙(宗弼)・円明(元選)
浄土宗の円光(源空)
融通念仏宗の聖応(良忍)
時宗の円照(一遍)
黄檗宗の真空(隠元)
日蓮宗の立正(日蓮)
[次へ進む] [バック]