207a 遊戯考[茶湯・煎茶・挿花・盆石]
 
[煎茶]
煎茶は其の起原詳ならず。
高遊外を以て中興の祖とす。
遊外は徳川幕府の中世の人にして、世に売茶翁と称す。
其の事には水品択芽煎法等ありて、一に支那の風に模倣し、其の器も多く支那の製を用
ゐ、簡素幽雅を以て主とするが故に、文人墨客の輩多く之を玩べり。
 
[挿花]
挿花は、花枝を瓶中に挿入して、之を賞するものなり。
或は花なき草、実ある木を用ゐれども、花を以て主とするが故に挿花と云ふ。
挿花は既に中古より見えたれども、其の法を立てゝ遊技と為しゝは、蓋し室町幕府の中
葉以後の事なるべし。
而して当時の挿花は、立花リックワの法を主とせしが、茶道の発達に従ひて、投入ナゲイレの法
も亦盛に茶家者流の間に行はる。
徳川幕府の時、投入より分れて活花イケバナの法起り、遂に三者並行はるゝに至れり。
 
凡そ挿花の法は、立花に在りては、枝条を屈折するに、釘、針金等を以てし、活花に在
りては、或流を除くの外は、花留にし枝幹を支持して、屈折するに器物を用ゐず。
投入に在りては、枝葉自然の姿勢を失はざるを以て主とするものゝ如し。
而して其の姿勢には、真行草、天地人、請ウケ、留トメ、流ナガシ等の称あり。
 
立花は池坊を以て宗とす。池坊は京都六角堂の執行なり。故に之を池坊流と云ふ。
此流は専慶に起る。寛正年間の人なり。師資相伝し専好に至る。
専好は慶長年間の人にして、其の技前人に超越すると云ふ。
立花には池坊の外に、大受院及び周玉の派あり。
活花には、遠州流、石州流、古流及び未生流等の諸流あり。
近世更に其の流派を生ずること数十の多きに至り。
秘事口伝と称へて、濫りに其の法式を伝へざるものあり。
 
ひさしかれあだにちるなと桜花 かめにさせれどうつろひにけり
                          (後撰和歌集 三春 貫之)
 
つばきつばきさかづきなりにひらいたら さけをすいせん梅のはなのみ
                              (卜養狂歌集 下)
 
[盆石]
盆石は、また盆山ボンサンと云ふ。
石と砂を用ゐ、盆上に於て山水の風景を模するものにして、石を立て砂を打つに各々其
の法あり。
 
仮山は、盆石の類にして、山岳の形を為せる木石等を、室内の装飾に用ゐるなり。
盆画は、盆石より創意せるものにして、砂を以て盆に画くなり。
水上画は、砂を蝋に漬し、其の砂を以て水上に画くなり。
砂画は、手に砂を握りて、地上に書画を為すなり。
 
引提て床の上にぞついすゆる 大千世界九山八海(笈埃随筆 八)
 
盆石
うごきなき山のすがたを心にて つきぬいはほのよはひなるらん
ありてよの中にしのぶの奥ふかき 心のやまはとふ人もなし
                        (扶桑残葉集 七 烏丸資慶卿)
 
同
名にしおふみねの横滝音せねど 見にくる人のたえぬしらいと(文苑玉露 上)
 
盆山
くさの庵にあはれと聞し夜の雨は いまもたもとの雫なりけり(挙白集 六)

[次へ進む] [バック]