204 遊戯考[投壷・拳・骨牌]
参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
[投壷ツボウチ・ツボナゲ・トウコ]
矢を以て壷に投じ、以て勝敗を決するものなり。
投壷は原と支那の古礼器にして、礼節最も備りしが、後に変じて俳劇の具となる。
我国に於ては上古より之を伝へしが、一旦久しく中絶し、徳川氏の時に、民間に於て之
を再興し、以て文雅の遊戯に供せんと雖も、終に盛に行はるゝに至らず。
[投扇]
投扇は、投壷を模して作りたるものにて、蝶の形に擬したる物を、方枕の如き物の上に
置き、扇を以て之に投じ、其の状に随ひて優劣を判じ、其の点の多少を算へて勝敗を定
む。
其の点には皆名目あり、初め百人一首の歌に取りしが、後に源氏物語の巻の名を用ゐる。
此戯は安永年間に起る。
[擲石(投石・石拶子)イシナトリ・イシナゴ]
石数個を撒き、一個を空中に擲ナゲウち、其の未だ墜ちざる間に、他の石を併せ取り、以
て輸贏シュエイ(勝負)を争ふものなり。
苔むさば拾ひもかへんさゞれ石の 数にみなとるちよは幾つぞ(小大君集)
苔むさばころひもかへんさゞれ石の かずをみなとるよはひいくよぞ
(拾遺和歌集 十八雑賀 よみ人しらず)
すべらぎのしるべの庭の石ぞこれ 思ふ心ありあゆるまでとれ(玄々集)
くもりなくとよさかのぼるあさひには 君ぞつかへんよろづ代までも
(散木葉謌集 五祝)
[蔵鉤テウカハカ]
今の謂ゆる、「なんこ」の類なるべし。
△なんこ
奕エキ(囲碁)の類にいへり。
幾子の義、西土にて猜拳サイケン(手拳)或は猪拳、また弁拳と云ふ。
九紙子又は小石頭を掌中に握り、其の数を猜著しあつるを勝ちとす。
(倭訓栞 後編十四那)
[拳ケン]
其の法種々ありと雖も、多くは両人相対して、互に手指を以て、輸贏を決するものなり。
△注
昭和二十年代の初め、即ちSYSOPが小学生の頃のいわゆる「ジャンケンポン」は、「ワ
ンツースリー、ハラショ」と発声していました。
公立中学校統合後の組合立「鹿南中学校」のときは、米代川の対岸の地域で行われて
いた「はっ、の、えっ」であったと記憶しています。ではなぜ、「ワンツースリー、ハ
ラショ」が消え失せたのでしょうか。
否、なぜ「ワンツースリー、ハラショ」が、出生地の「松舘」地区において、子供達
の間に膾炙していたのでしょうか(懸案中)。
[骨牌カリタ・カルタ]
骨牌は初め和蘭人の齎モタラす所にして、紙にて札を製し、以て輸贏を決するの用に供す。
此を宇牟須牟加留多ウムスムカルタと称す。
後其の製に傚う者を凡て加留多と称せり。
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