202 遊戯考[囲碁・将棋]
参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
[囲碁イゴ・ゴ]
『懐風藻』に、大宝年中、僧弁正が唐国に遊び、囲碁せしことを載せたり、囲碁始めて
此に見ゆ。
古来囲碁には必ず賭物あり、或は布帛を以てし、或は紙を以てし、又銭を以てす。
其の銭を指して碁手銭と云ふ。
後世徳川氏に至りて、物を賭することを禁ぜり。
徳川幕府に於ては、碁所を置き、京都寂光寺中の僧本因坊算砂を挙げて、之に世禄を与
ふ。
算砂は碁を善くするを以て、織田信長、豊臣秀吉の時、既に其の寵遇を受けたる者なり。
其の後井上、安井、林の三家も亦徴されて碁所と為れり。
囲碁は、その巧拙に由りて階級あり、初段に始まり九段に訖ヲハる。
九段を最と為し、是を名人と云ひ、八段を半名人と云ひ、七段を上手と云ふ。
初段至らざるものは、皆素人と為す。
綴五は四目殺ヨツメゴロシと云ふ、彼我互に碁石を並べ、我四石を以て敵の一石を囲む時は之
を殺し、其の数の多寡を以て勝敗を決す。
格五は五目並ゴモクナラベと云ふ、亦互に碁石を縦、横、筋違に並べ、敵に先じて五箇連続
したるを以て勝とす。
碁ならばやかうにもたてゝ生べきを 死ぬる道には手一つもなし(塩尻 三十九)
あづま路のはてとおもへど碁を打て 四てうにかくる佐野の舟はし(守武千句)
しら浪のうちやかへすとまつほどに はまのまさごの数ぞつもれる
(拾遺和歌集 村上天皇御製)
うちよする手なみにはまをかくされて うちしも今はうづもれにけり
(古今残葉 三十六)
いつしかとあけてみたればはま千鳥 跡あるごとにあとのなき哉(藤原実頼)
返し
とゞめても何にかはせんはまちどり ふりぬる跡は浪にきえつゝ(拾遺和歌集 九雑)
万世の秋をまちつゝなきわたれ 岩ほに根ざす松むしのこゑ
(新勅撰和歌集 七賀 藤原実資)
世にすめば誰もこゝろのかちまけを 石とこまとの上にみるかな(中略)
(幕朝年中行事歌合 中)
君が代に逢ふべき春はおほけれど ちるともさくらあくまでぞ見む(鷹司左大臣)
色ふかきやしほの岡のもみぢ葉は こゝろをさえにそめて見るかな(近衛右大臣)
(因云碁話 六)
をのゝえのくちんもしらず君がよの つきんかぎりはうち心みよ
(後撰和歌集 二十賀 命婦清子)
紀の国のしらゝの浜に拾ふてふ この石こそは巌ともなれ(紫式部日記)
すがしまやたうしのごいしわけかへて くろしろまぜようたのはまかぜ
さぎしまのごいしの白をたかなみの たうしの浜に打よせてけり
からすざぎのはまのごいしと思ふ哉 白もまじらぬすがしまの黒
あはせばやさぎをからすとごをうたば たうしすがしま黒白の浜(山家集 下雑)
(折句)
こけのむすのやまのおくのふもとにて これを□□みをへてかへりけん(少将内侍)
返し
ふるさとのはなの盛をもろともに □□□□みましむかしなりやと(中将)
ふる里のはなよりもけにおもひやれ それよりおくのしがの山ごえ(弁内侍)
(弁内侍日記 下)
ふるさとは見しごともあらが斧のえの くちし所ぞ恋しかりける
(古今和歌集 十八雑 きのとものり)
碁屋ならば寄大炊などゝ有べきを をかわせんとは御手違ひ哉(翁草 百七十四)
萩
碁のみにて百八十の日をつぶし 軒ばの萩の風に手をうつ(雅筵酔狂集 二秋)
[乱碁ランゴ・チキリ]
其の術詳ならず。
[弾碁タギ]
其の術詳ならず。
いたづらにあればわが身もあるものを はなれむまとて人やとりけん
(和泉式部集 四)
[指石ハジキ]
小石又は小貝等十数個を撤きて、手指を以て之を弾き合せ、
当れるを勝とし、当らざるもの、及び当れども転じて他石を撃つものを負とす。
[将棋シャウギ]
象戯、将騎等とも。
小将棋、中将棋、大将棋、大々将棋、摩訶大々将棋、泰将棋、広将棋、七国将棋等の種
類あれども、其の法多くは亡びて伝はらず。
唯小将棋のみ今も行はれて、単に将棋と称す。
此将棋は我国にて創むる所にして、外国の象戯と異なり、
将棋の類には、此他に智恵将棋、挟将棋、飛将棋、廻り将棋、盗み将棋、弾き将棋等の
数戯あり。
将棋は巧拙に由りて段位あり、
九段を最上とし、之を名人と称す、以下半名人、上手、上手間手合、上手並、強片馬、
並片馬等の名目あり。
徳川幕府に於ては、将棋所数人を置きて、世々之に俸禄を給せり。
すみわぶるくゝめ屋形とみらめども さすがに賎が心をぞやる(柿園詠草)
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