11a 勅撰和歌集概説
 
新勅撰和歌集
 第九勅撰集。鎌倉時代前期成立(貞永ジョウエイ元年(1232)後堀河天皇の勅命による)。
 歌集。二十巻。藤原定家撰。歌数千三百七十六首(国歌大観による)。家隆・俊成・
 良経らを始めとする、新古今和歌集の歌人の歌が多く、歌風は平淡・平明で、後の二
 条家歌風のもととなった。
 
続後撰和歌集
 後深草院、建長三年辛亥(1251)之を撰ばれる。二十巻。歌数千三百六十八首。宝治
 二年(1248)七月民部卿為家、後嵯峨院より命を受ける。
 
続古今和歌集
 亀山院、文永三年丙子(1266)之を撰ばれる。二十巻。歌数千九百七十二首。文永二
 年(1265)十二月民部卿為家、後嵯峨院より命を受ける。万葉内、十代集外之を撰ぶ。
 
続拾遺和歌集
 後宇多院、弘安元戊子(1278)之を撰ばれる。二十巻。歌数千六百首。文永十一年(
 1274)前権大納言為氏卿、亀山院より命を受ける。
 
新後撰和歌集
 後二条院、嘉元元癸卯(1303)之を撰ばれる。二十巻。歌数千九百七十首。正安三年
 (1301)前大納言藤原為世卿、後宇多院より命を受ける。
 
玉葉和歌集ギョクエフワカシフ
 第十四番目の勅撰和歌集。二十巻。伏見院の院宣により京極為兼キョウゴクタメカネ撰。一三
 一二(正和正和ショウワ元)年成立。二条家による勅撰集の続く中で、『風雅和歌集』と
 ともに清新な風がある。伏見院、永福門院、俊成、定家、為家、為兼らの歌二千八百
 一首を収める。大胆な発想と取材の清新さを示し、景情融合の秀歌が多い。
 
続千載和歌集
 後醍醐院、元応二庚申(1320)之を撰ばれる。二十巻。歌数二千百二十首。文保三年
 (1319)前権大納言為世卿、後宇多院より命を受ける。
 
続後拾遺和歌集
 後醍醐院、嘉暦三丙未(1328)之を撰ばれる。二十巻。千三百四十三首。元享三年(
 1323)民部卿為藤卿命を受け、後薨去により子息権中納言為定卿相続。
 
風雅和歌集フウガワカシフ
 第十七番目の勅撰集。二十巻。二千二百余首。光厳院コウゴンイン撰。一三四九(貞和ジョウ
 ワ五)年頃成立。伝統的な二条派の歌風を排し、自由な用語によって感動をうたう京極
 派の歌風を強く打ち出している。『玉葉和歌集』とともに十三代集中では異色で、精
 彩を放つ。
 
新千載和歌集
 後光厳院、延文四己亥(1539)之を撰ばれる。二十巻。歌数二千四百七十三首。入道
 大納言為定卿撰。
 
新拾遺和歌集
 後光厳院、貞治三甲辰(1364)之を撰ばれる。二十巻。歌数千九百二十五首。民部卿
 為明命を受ける。
 
新後拾遺和歌集
 後円融院、永徳三癸亥(1383)之を撰ばれる。二十巻。歌数千四百七十九首。同二年
 (1382)中納言為重命を受ける。
 
新続古今和歌集
 後花園帝、永享十戊午(1438)之を撰ばれる。二十巻。歌数二千百八首。飛鳥井大納
 言雅世卿命を受ける。
 
新葉和歌集
 準勅撰集。弘和コウワ元年(1381)成立。歌集。二十巻。宗良ムネナガ親王撰。南朝系の天
 皇・歌人の歌千四百二十首を勅撰集に準じた部位に収録。二条家流の平淡な歌風の中
 にも、北朝への憤懣、戦乱に生きる悲痛さがよく表現されている。
 
三代集
 平安時代前期の勅撰和歌集、古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集の称。
 
七代集
 古今・後撰・拾遺・後拾遺・金葉・詞花・千載の七つの勅撰和歌集の総称。
 
八代集
 古今集・後撰集・拾遺集・後拾遺集・金葉集・詞花集・千載集・新古今集の八つの勅
 撰和歌集。
 
十三代集
 新勅撰集・続後撰集・続古今和歌集・続拾遺集・新後撰集・玉葉集・続千載集・続後
 拾遺集・風雅集・新千載集・新拾遺集・新後拾遺集・新続古今集の十三の勅撰歌集。
 
二十一代集
 勅撰和歌集の総称。古今集から新古今集までの八代集に、新勅撰集から新続古今集ま
 での十三代集を加えた二十一の勅撰和歌集。

[次へ進む] [バック]