11 勅撰和歌集概説
参考:小学館発行「古語例解辞典」
講談社発行「古語辞典」
吉川弘文館発行「古事類苑」
古今和歌集コキンワカシフ
第一番目の勅撰和歌集。二十巻。九〇五(延喜五)年醍醐天皇の勅命によって編纂さ
れ、九一三(延喜十三)年頃の成立とされる。撰者は、紀貫之キノツラユキ・凡河内躬恒オオシ
コウチノミツネ・紀友則キノトモノリ・壬生忠岑ミブノタダミネの四名。短歌を中心とした約千百首を、
四季・賀・恋・離別・羇旅キリョなどの十三の部立てに従って収める。七五調・三句切れ
の歌が多く、掛詞カケコトバ・縁語などの修辞的技巧も目立ち、理知的で優美典雅な歌風
をかたちづくっている。各巻に収められた歌は、四季の時間的推移や恋の展開、歌中
の主要語句、作者などの諸種の基準によって精密に配列されており、全巻が一つの美
的統一体を構成している。王朝和歌の美的感覚を確立したもので、以降の勅撰集をは
じめとする和歌の世界や『源氏物語』などの諸作品に、多大の影響を及ぼした。紀淑
望キノヨシモチの真名序マナジョ(漢文体ノ序文)と紀貫之の仮名序が添えられいるが、仮名序
は歌論の最初のものとして高く評価されている。
後撰和歌集ゴセンワカシフ
第二番目の勅撰和歌集。二十巻。九五一(天暦五)年村上天皇の勅命により、大中臣
能宣オオナカトミノヨシノブ・源順ミナモトノシタゴウ・清原元輔キヨハラノモトスケ・紀時文キノトキフミ・坂上望城サカ
ノウエノモチキの「梨壷ナシツボの五人」が撰する。成立は九五六(天暦十)年頃か。『古今和
歌集』の撰者達の歌も多いが、当時の高貴な貴族や女性達の私的贈答歌が多いために、
詞書が長くなり、歌物語的要素が見られる点に特色がある。歌数約千四百二十首。
拾遺和歌集シフイワカシフ
第三番目の勅撰和歌集。撰者、成立ともに未詳。十一世紀初めの寛弘カンコウ年間の成立
で、花山院もしくは藤原公任キントウが撰進したとする説がある。名前の示すように、『
古今和歌集』『後撰和歌集』の撰にもれた作品約千三百五十首を集めた。形式的洗練、
技巧の平淡化、情緒の芸術化の傾向が見える。
後拾遺和歌集ゴシフイワカシフ
第四番目の勅撰和歌集。二十巻。白河天皇の勅命により、藤原通俊ミチトシが撰する。一
〇八六(応徳三)年成立。和泉式部イズミシキブ・相模サガミ・赤染衛門アカゾメエモン・伊勢大
輔イセノタイフら女性歌人の歌が圧倒的に多く、それがそのままこの勅撰集の特色といえる。
歌数約千二百二十首。
金葉和歌集キンエフワカシフ
第五番目の勅撰和歌集。十巻。白河上皇の院宣により、源俊頼トシヨリが撰する。俊頼、
その父源経信ツネノブ、藤原顕季アキスエらの歌約六百五十首が採録される。印象的な叙景歌
に見るべきものがあり、着想・比喩の妙、素材の広がりなど、勅撰集の中でも異色で
ある。
詞花和歌集シカワカシフ
第六番目の勅撰和歌集。十巻。崇徳ストク上皇の院宣により、藤原顕輔アキスケ撰。一一五一
(仁平ニンペイ元)年頃成立か。それまでの勅撰集に採られない歌に留意してあり、曽根
好忠ヨシタダ・和泉式部・大江匡房マサフサの歌が多いように、清新な歌風に、奇抜な比喩ヒユ
の歌も見られる。
千載和歌集センザイワカシフ
第七番目の勅撰和歌集。二十巻。約千三百首。藤原俊成撰。一一八七(文治ブンジ三)
年成立。『後拾遺和歌集』に漏れた歌を中心に、自然を深く見つめる歌が多く、俊成
の唱える「幽玄」の歌風につながるものを持っている。
新古今和歌集シンコキンワカシフ
第八番目の勅撰和歌集。二十巻。一二〇一(建仁ケンニン元)年の後鳥羽上皇の院宣によ
って、源通具ミチトモ・藤原有家アリイエ・藤原定家・藤原家隆イエタカ・藤原雅経マサツネらが撰し
た。寂蓮ジャクレンも撰者の一人であったが、成立前に没した。後鳥羽院自らの加除・切
継ぎの改訂も行われたが、一二〇五(元久ゲンキュウ二)年約千九百八十首の歌集として
一応成立した。短歌だけで、初句切れ・三句切れ・体言止めの歌が多く、『源氏物語
』や『伊勢物語』を背景に採り入れる手法や、古歌を踏まえた本歌取りの技法などの
修辞的技法が最大限に駆使されて、重層性のある繊細・微妙な世界を創り出している。
また、藤原俊成の幽玄、その子定家の有心ウシンという美的理念に裏付けられた、象徴的
・絵画的・幻想的・感覚的な歌も多く、芸術至上主義の極地ともいうべき歌集となっ
ている。『古今和歌集』に範を採った、各部立てごとの複雑・微妙な和歌の配列も一
層の洗練を示し、歌集全体としての統一の美をかたちづくっている。
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