04 名物裂の用途と価値
 
             名物裂の用途と価値
 
                         参考:淡交新社発行「名物裂」
 
〈名物裂の用途と価値〉
 名物裂と称せられる染織品は,前述しましたように種類,数量は多いが,これらの染
織品は茶道と深い関係を持っています。名物裂の発生が茶道にその基盤を置くと考えら
れますし,茶道に志す人々,即ち茶人等が,これらの染織品を一番よく鑑賞して彼等の
世界に採り入れたのです。
 勿論,舶載された染織品が全部茶人等によって消化されたと云うことではありません。
いろいろの用途に使用されたことですが,名物裂と云う時点においては,茶人等の功績
は偉大なものでしたと称賛すべきことでしょう。義政以来,茶道の発展には紆余曲折が
あったかも知れませんが,茶人等が茶湯を学ぶに必須の諸道具は何よりも大切にしてい
ます。殊に,自分の所有するものが名声高いものであればある程,大切にしていたこと
は論を待ちません。茶人等はこれらの大切な品物を,より一段と威厳を保つため,より
一層の高貴性を持たせるため,いろいろの装飾法を考えているのです。
 珠光が圜悟エンゴ大師の墨跡を以て茶湯の拠り所とし,利休が奈良の松屋に伝わる一幅
の鷺の絵を以て珠光茶湯の極意が示されたと云ったことからしても,茶湯においては掛
け物が特に重視された傾向が強い。従って,名画や墨跡の表装には,並々ならぬ苦心が
払われたと思われますが,その表装には優れた染織品が選ばれています。茶会記から二,
三観ますと,『天王寺屋会記』の「宗達茶湯日記他会記」に観られます天文十七年申十
二月七日の記事には,
 
 一へウし 上下薄もへき、雲大もん也、中かう、是も大文也、一文字ふうたい 白地
 小文 皆金らん也
 
とあります。これは牧渓筆「煙寺晩鐘」の幅物の表装裂を説明したものですが,上下,
中回しの表装裂は,薄萌黄地に大きく雲文様を出した金襴で,中回しは香色に矢張り大
雲文様の金襴で,一文字と風帯は白地で,それに小さい雲文様を出した金襴裂でした。
 また,同記の天文十八年十一月六日朝の記事には,
 
 一床 八々鳥絵懸 筆牧渓
 右絵、松にかつらかゝりたる也、からす一とまり候、又上ニ松のゑたアリ、ちゝり一
 在、たつ絵也、へウし、惣金地カネジの白地也 中風帯こん地、一文字もへき也(下略
 )
 
とあり,表装裂は金襴裂の中において最も豪華,華麗な金地金襴が使用されていたこと
が知られます。
 また,『松屋会記』の「久政茶会記」を観ますと,天文十一年卯月四日の記事に,
 
 手水ノ間ニ、盆ヲロシテ、船子ノ画カヽル、牧渓筆、賛虚堂、上下金地、中萌黄、一
 文字・風帯紅
 
とあり、この牧渓の絵にも金地金襴裂が表装裂として使用されています。
 また,『神谷宗湛筆記』の天正十五年二月廿日,「塩屋宗悦御会」の記事を観ますと,
水仙花の絵の表装具が詳しく記載されていますが,
 
 上下濃浅黄の金紗。中白地金襴、牡丹から草大紋也。一文字風帯。萌黄金襴小紋から
 草の内に宝尽。
 
と文様まで明記されてありますが,金紗,金襴の裂が使用されていました。同記の天正
十五年三月廿七日の記事は,天下の神品とされていた,松屋名物,徐煕筆「鷺の絵」に
ついて寸法,図柄や表装裂に触れています。
 
 一塗や源三郎御会。奈良にて。宗湛。四畳半。六尺床に白鷺の絵始終掛けて。(中略
 )絵の事、絹の内竪三尺四五寸、横一尺六七寸。白鷺二ツ。蓮葉二ツ。印三ツ有。内
 二ツは左の方に上下ニ有、同下之印そと大也。右の上ニ一ツ。皆一寸三分程の印也。
 上下茶。中風帯小紋濃浅黄の緞子。露紫、一文じなし、はち軸くはりん筆者徐煕也。
 
とあり,緞子が使用されています。
 茶会記などを観る限りこのような例は見られ,書画の表装に舶載された珍しい,しか
も優れた染織品が用いられていました。
 茶人等は書画の表装裂だけに舶載の染織品を使用しているのではありません,彼等の
所有する大切な茶器類の装飾用にも使用していますが,その主なものは茶入の袋に仕立
てられています。
 茶会記などからその実例を観ますと,『松屋会記』の「久政茶会記」の天文十一年壬
寅卯月三日の記事に,
 
 一堺紹鴎へ   ハチヤ又五郎 久政 少清三人
 波ノ画 高サ一尺三寸二分横三尺七寸五分アル也、上下白地金ラン、中モヘキ金ラン一文字フウタイ
     鳥タスキ色紅也
  圓座カタツキ 方盆ニ袋カントウ(下略)
 
 同記の同年同月六日の記事には,
 
  一堺油屋浄言へ 久政 少清 又五郎三人
 床ニルイサ  カントウ袋ニ入 四方盆ニ
  台子ニホネハキ
 
ルイサと云うのは擂茶茶入を云っていますが,翌七日の記事にも,
 
  一堺薩摩屋宗折へ 又五郎 久政 少清 三人
 床ニ柿カントウ袋入内赤盆ニ四方板ニ シャウハリ一
 
と記してありますが,柿とは柿形の平茶入のことで,茶入の袋の色や縞柄は不明ですが,
何れも間道裂が用いられていたことが知られます。また,『天王寺屋会記』の「宗達茶
湯日記他会記」の天文十九年卯月十七日の記事には,「にった肩衝」の袋は格子風の間
道裂であり,同じく五月廿六日の記事には,「北野茄子」の袋は横縞の間道裂が用いら
れていたことが明記されています。また,同記の弘治コウジ四年正月九日の記事には,「
かたつき 四方盆ニ、袋もへき金襴、くれなヰお」とあり,金襴裂が袋に使用されてい
たことが知られましょう。
 『神谷宗湛筆記』を観ても茶入の袋や葉茶壷の覆に金襴が盛んに用いられていること
が知られます。その二,三を観ますと,同記の天正十五年正月十八日水落宗恵御会の記
事に,圓座肩衝の袋は白地金襴と記され,同月廿一日の「ト意御会」においては,「八
重垣」と云う大壷の覆は,「萌黄金らん金地、紋は小菱、大牡丹から華也」とあって,
金地金襴の見事な裂が使用されていました。同じく同記の正月廿七日,「虎屋紹意御会
」の項には,関白様より拝領の壷の覆は「紺地の小紋金襴」と記され,同月廿九日,「
針屋宗和御会」の項には肩衝の袋は「白地金襴、小紋」とあって,表装裂,茶入の袋,
壷の覆の裂地についての記事は日記の毎日に観られる位多い。山上宗二の『茶器名物集
』にも「紹鴎茄子」「百貫茄子」「珠密小茄子」などの天下の名器と称せられた茶入の
袋は,間道裂の袋と記されていましたが,千宗易所有の「圓座肩衝」の袋は,「竜ツメ
ノ純子也」と書かれています。
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