03a 名物裂の種類
 
〈間道〉
 名物裂の中に"かんとう"と呼ばれる裂があり,漢島,間道,漢東,漢渡,広東,閑島,
邯鄲などいろいろの字を用いていますが,何れも当て字です。かんとうと呼ばれる裂は
縞文様のある裂,いわゆる縞織物の縞物を指しますが,縞物を何故にかんとうと呼ぶか,
その根拠は判りません。
 不思議にことには,わが国には昔から単なる縞織物は少ない。奈良朝に長班錦,獅噛
文様錦,暈繝錦と呼ばれる縞物は既に見られましたが,縞文様だけでなく,寧ろ縞文様
が他の文様の背景的な役割として織り出されていました。名物裂の縞物の如き縞文様は
実マコトに少ない。名物裂に,鎌倉期に舶載されたと伝える縞織物はありますが,縞織物が
数多く見られるようになったのは室町末期以降でしょう。殊に,いわゆる南蛮貿易によ
り絹織物でない木綿の縞織物が舶載されたことは,縞織物愛好の風潮を一段と高めるこ
とになりました。
 縞織物は美しく新鮮です。貴族的に感覚は薄らぎますが,野暮ったさはありません。
種々の色彩を持つ線の構成が表出するリズムは,ときに厳しさを持ちますが,また,柔
らかな親しさを持ちます。派手さも渋味もそして新鮮さを持つ縞織物に茶人等が注目し
たのは当然なことであったでしょう。
 
 『石州三百ケ条』巻三に,かんとうを唐物の袋に使用したのは利休からと記されてい
ますが,かんとう裂の持つ情趣が大茶人利休の芸術感覚の一端に触れたのかも知れませ
ん。かんとう裂を茶入の袋に使用している実例は,まず利休が,天下の大名物とされて
いました松屋肩衝茶入の袋にかんとう裂を使用した道具が今に伝わるのを始めとして,
文献によくその例が見られます。
 『天王寺屋会記』の「宗達茶湯日記他会記」には,天文テンブン十九年卯月十七日の記事
に,
 
 一カタツキ につた 袋かんとう さまかうし心在 くれなヰの尾
 
とあって,新田肩衝の袋は格子縞風のかんとう裂でした。また,同年壬五月廿六日の記
事には,
 
 北野なすひ
 一袋 かんとう、よこ筋に成也、アサキのお也、うらちや北絹也、天下か子与一と申
 者ぬい候由申候
 
とある北野茄子茶入の袋は横縞が用いられたようで,天下一と称した者の与一と云う人
物が縫ったと記述されて興味を引きます。また,山上宗二の『茶器名物集』を見ますと,
 
  御茶湯具 次第不同。
 一紹鴎茄子 関白様。
  四方盆内赤ノ盆。カントウノ袋(後略)
 一茄子 似タリモ云 百貫茄子トモ云 関白様
  カントウノ袋。蓋ハ象牙ツヘイチ也。四方盆ニ居ル。(後略)
 一珠光小茄子
  カントウノ袋。四方盆ニ居ル。是モ信長公御最後ノ時火ニ入。同所ニテ失申候(後
  略)
 一文琳四方盆 堺天王寺屋 宗及ニ有。
  カントウノ袋、昔珠光モ所持也。(後略)
 
とあって,その縞柄などは明記されていませんが,名器の袋にかんとう裂が使用されて
いたことが知られましょう。これらの名器に使用された裂やその同系統のかんとう裂は,
名物裂に編入される資格を持ったことになります。
 
〈印金インキン〉
 印金と称するものは織物でもなければ文様染でもありません。文様を型紙に彫り抜き,
漆又は膠の類を以て生地に刷り,未だそれが乾かないうちに静かに金箔を押し当て,軽
く圧し,よく乾いた後に文様以外の余分の金箔を取りますと,生地に文様が金で現され
ます。
 印金裂は中国において創製されたと云われますが,何れの時代に創製されたかは詳ら
かではありません。唐代に既に行われていたとも云われていますが,盛行を観たのは宗
時代とも云われ,それを「銷金」と呼びました。わが国に室町末期から桃山時代にかけ
て能衣裳や小袖に用いられた「摺箔」と称する箔置きの技術があり,この「摺箔」は印
金の技術から指示を得たものと云われますが,著者は必ずしもそうとは思いません。印
金も摺箔も同系統の技法です。
 印金裂は箔置きであるため,手に触れることが数多ければ美しい金箔によって出され
た文様が剥落するのが当然です。そのためこの裂は,金襴や緞子,かんとう裂が茶入の
袋に使用されたのとは聊か異なって,多くは書画の表装裂に使用されています。茶入に
使用されることが皆無と云う訳ではありませんが,非常にその例は少ない。
 『銘器秘録』の印金の説を見ますと,
 
 「地味を篭地とも紗地とも云、又綾地、緞子地あり、自然紗綾、羽二重の如く細か成
 地合有共是は禁也。色紫、萌黄、柿、紺、白地有、紋花兎、作り土、大形、小形有、
 又は牡丹と作り土、筋違ひに押分有、あるひは牡丹のうち生類入れたる有、とかく文
 様変りたるを至って賞翫す。箔色あがり濃丈を上手とす、但したとへ箔黄色がちにて
 も光の艶無之有下手也、第一地味の見分け肝要なり。異国にて金襴金入いまだ織習は
 ざる時、泊を以て押候よし。其故に印金は時代古き程よし、尤も新に色絵書きたるも
 有也」
 
とあります。
 これから観ますと,印金の裂地にはいろいろあり,篭地が一番良いとされていますが,
篭地と云うのは荒い紗のような地合で,織目が篭目のようになっているものを指します。
また,地色は紫が第一で,次は萌黄となっています。金色は濃くて艶がなければ駄目だ
と云っていますが,金色の良さは確かにそうでしょう。文様は,有り触れた文様でない
ものが賞翫されたとされています。紫色の篭地に金色の濃く,しかも艶のある,仕上げ
のすっきりした文様が見られる印金裂が,印金裂の最上の品とされました。
 印金裂も茶入の袋に使用されたと云われていますが,金襴裂や緞子裂の袋よりも印金
の袋は金色の剥落が早いし,薄地のため他の裂類よりもその生命は短かったと思われま
す。印金の味わいを愛する茶人等は,印金の生命を少しでも長く保存するために袋に仕
立てるよりも,表装裂に使用するのが最良と考えたでしょう。そしてそれを実行しまし
た。
 
〈金紗キンシャ〉
 文様を金糸によって織り出した織物を金襴と云っていますが,その意味からしますと
金紗と称する織物は金襴の部類になる織物です。ただ,裂地が紗地であるところから金
紗と云う名称が出たのかも知れません。薄物の紗地に平金糸を織り込んで文様を出すも
ので,平金糸の織り込みは金襴の金糸の織り込みと同様です。
 わが国においては元和ゲンナ年間に明の工人が和泉へ来てこの織法を伝えたとされ,そ
の後,この金紗がわが国において織り出されるようになりました。
 名物裂の金紗の類は,わが国において織り出される以前は舶載されたもので,紗地に
金糸で文様を織り出した感覚は実に瀟洒です。紗地の多くは白地ですが,この白紗地に
金糸によって織り出された美しい金色の文様は,気品高い。茶人等が好むのも当然であ
ったでしょう。
 金紗も印金裂と同様に茶入の袋にはあまり用いられていません。裂地の性質からして
それを避けたのです。そして印金裂と同じく,名画や名墨の表装に多くが使用されるよ
うになりました。
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