03 名物裂の種類
 
              名物裂の種類
 
                         参考:淡交新社発行「名物裂」
 
〈金襴キンラン〉
 名物裂の中において豪華さ,華麗さを持つものは金襴でしょう。金襴と云う織物は,
文様を金糸で織り出している織物で,名物裂においてはモール金糸(撚り金糸)を使用
した織物はモール織と云い,平金糸(金箔糸)を使用して文様を織り出したものを金襴
と呼んでいます。
 この平金糸は紙の上に漆を塗り,更に金箔を置いて金箔紙を作り,金箔紙を簾形に細
かく裁断したものを,織るときに一本ずつちぎって竹の箆ヘラの小溝にその一端を引っか
け,竹箆と共に真っ直ぐに箔の表面を織物の表面に向けて引いて織り込んで文様を出し
ます。この平金糸は撚ったモール金糸に比べて金の表面積が広く効果が大であるため華
麗に映ります。殊に文様だけでなく,地場全面を金糸によって埋めたものを金地カネジと
呼んでいますが,この金地金襴に至っては,全く豪華絢爛と云えましょう
 金地金襴にしろ普通の金襴にしろ金襴類の織物は中国の製品ですが,金襴と云う文字
は,中国においては古い時代には見当たらないと云われます。中国においては金襴衣,
又は金襴袈裟などの用語があって,詩などではこれを金襴と省略して用いた例はありま
すが,織物名としては「織金」と云いました。この「織金」がいわゆる金襴と考えられ
ます。
 名物裂に見られる金襴と呼ぶ織物が豊富に生産されたのは,中国においては宋以後と
され,宋代になり金箔紙が作られて,前述の技法によって金箔紙を織り込んで文様を出
すことが可能になりました。この手法は東洋独特のもので今日においてもわが国,中国
以外には見られない特技です。
 この織物は中国においても余程好まれて流行したらしい。この流行は禁令を産むまで
に至り,宋の祥符元年(1008)の正史に見える金の禁令には,金箔,金銀線があり,同
八年の衣服関係の禁令には,鏤金ルキン,撚金,織金,金線などの物名が見られます。この
事実は,金を使用した織物の生産状況を如実に物語るものでしょう。しかし,「数次の
禁令にも拘わらず織金は禁止しても絶えませんでした」と宋史が伝えますように,織金
の需要は大なるものでした。
 何時の時代においても,何処の国においても,黄金は実マコトに貴重な資材でした。その
貴重な金を使用した織金もまた貴重な織物として取り扱われたに違いありません。金襴
類が持つ貴重性は材質にも因りますが,この貴重性が名物裂に成り得る一つの性格でも
ありました。
 わが国へ金襴の織法が移入されたのは,製品の渡来よりずっと後になります。即ち天
正テンショウ年間に明の織工が堺に来て,この種の織法を伝えて以来,その織法は直ちに京都
西陣に伝えられ,ここにおいて初めて本格的な生産がされるようになりました。従って,
金襴の製作が始められたのはわが国においては桃山期以降です。中国においては宋以来
元,明,清の各時代に亘って製作されていますが,明の中期までは質も文様も良いが,
明末期頃から優れた金襴の作品は少なくなりました。わが国へ舶載されたのは,その織
法が伝えられたときより遥かに遡る鎌倉時代とされています。彼我の禅僧の来往がその
役割の一端を果たしたとも云えましょう。名物裂の金襴は,わが国の文化人に驚異の目
を以て迎えられ,羨望の対象になったかは想像するに難くありません。そしてこれらの
ことがやがて織法移入を促進したのでした。
 
〈緞子ドンス〉
 名物裂の中において金襴と共に数の多いのは緞子です。緞子は段子又は純子とも書き
ます。組織は斜文組織で,普通紋織物と呼ばれて感触の良い織物です。金襴とは対照的
に豪華さ,華麗さはありませんが,渋い美しさと沈静さが感受される織物と云えましょ
う。緞子裂の持つ柔軟性と表出された謙虚な美に,茶人等はこの裂をこよなく愛しまし
た。茶入の袋に使用された名物裂には緞子の数が非常に多いのは,こんなところに起因
するのでしょう。
 利休の弟子宗啓は,平素利休から親しく見聞習得したものを基とし,茶湯の心得など
を書き留めたのが『南坊録』ですが,その巻七に次のことが記されています。
 
 「大方唐物名物なとは緞子裂多し、金入袋も又必添てあり、普光院慈照院殿までの御
 時までは、渡り来る巻物すべて錦なり、金入錦は殊更厚くして袋に用い難し、其後唐
 へ誂て緞子地の金入好の如く織て渡りしゆえ、金入を用る人多し、されとも東山殿の
 時分の御賞翫と申せば一入称することなるゆえ、昔の緞子を掛て古風を思ふ人もあり、
 所詮、金入金不入袋二つあるべきことなり」
 
とあって,緞子が袋に多くしようされた理由が知られますが,それは縫製加工の関係も
大きく影響していました。
 また,遠州の茶道に関して秘伝とも考えられる諸々のことを,村田一斎が書き留めた
『孤篷庵茶点無尽蔵』を見ますと,
 
 茶入の袋唐肩衝に純子小壷類に金襴、甫公古瀬戸ニ金襴中興物ニ純子漢東ハ何レニモ
 御用ナサレタリトイヘトモ一様ナラス、当世ハ主ノ祕蔵ナル具ニ金入ノ袋掛ル
 
とあります。唐肩衝に緞子裂の袋とあり,古瀬戸に金襴,中興物に緞子とあるのは興味
を引きます。そして当世は主の秘蔵なる具には金入の袋を掛けるとあるのは,秘蔵の器
を一段と価値付け,威厳付けるため金襴などを用いるとしてありますが,彼の緞子愛用
の一面が窺われて面白い。
 『石州三百ケ条』巻三の「七十九、茶入の袋の事」を見ますと,
 
 「昔ハ唐物ニハ古金襴、和物にはかんとう・純子の類を用、利休より布而唐物などに
 袋をかろく、かんとう・純子のたくひを用、和物なとハ古金襴の類を用いて袋をおも
 くする也」
 
とあって,唐物茶入の袋に緞子を用いるようにしたしたのは利休からとあります。誇り
高い唐物茶入を包む袋裂に緞子を選んだことは,利休の佗びの精神からでしょう。
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