02b 名物裂発生の基盤
〈名物裂名称の分類〉
今日,名物裂と呼ばれている名称はなかなか複雑で,同一裂が,用途,所有者又は文
様などによって二つ以上の名称を持っている場合もあって,複雑さを増していますが,
これは,選定基準に統一性のないことを明示しているものです。いま,名物裂と称せら
れる名称を大別しますと,次の分類になります。
一、愛好して所蔵していた人の名を付けたもの
二、染織品を伝来した人の名を付けたもの
三、生産地又は所在地の名を付けたもの
四、裂の文様を名称にしたもの
五、名物器の名を付けたもの
四百点に近い数と云われる名物裂が,このような分類によって,それぞれ名称が付け
られています。勿論,初めからこのような分類に整理されて命名されたものではありま
せんでした。器物の名物選定と同様に,その道権威者等の合議によって選定されたもの
ではなく,しかも同一時期の命名でないため,複雑さを増した感が深い。各人勝手の考
え方によって選び,名称を付けたと思われる位に拠り所が異なっています。その結果,
同一の裂が所蔵者名で呼ばれたり,文様の名称で呼ばれるようなことになりました。
〈名物裂の舶載年代〉
名物裂と称せられる染織品は,その殆どが外国製品です。従って,それらの製品の製
作年代とわが国へ舶載された年代が問題になります。しかし,これらの製品がわが国へ
渡来した年代を明確にすることも困難ですが,それらの製作年代を知ることは,更に難
しい。名物裂の渡来年代については江戸時代からいろいろと区分されていましたが,今
泉雄作氏がそれを一応纏められた時代区分があり,それが現在においても踏襲されてる
ので紹介しますと,
一、極古渡り 足利義満頃の渡来品
一、古渡り 足利義政頃の渡来品
一、中渡り 永正エイショウ、大永タイエイ頃の渡来品
一、後渡り 永禄エイロク、天正テンショウ頃の渡来品
一、近渡り 徳川家康、秀忠頃の渡来品
一、新渡り 徳川綱吉元禄ゲンロク頃までの渡来品
一、今渡り 享保キョウホウ以後に渡れるもの
以上の七時代に分けられています。これらの時代区分が妥当であるか否かは別として,
名物裂なるものは室町幕府の勘合貿易によりその大部分が輸入されたと考えられるため,
極古渡りとして輸入の上限を足利義満頃の舶載品に一応の目安を置かれたのは妥当であ
ると思われます。ただ,義満以前に舶載されたと思われる作品も在るため,時代の前後
に少しの幅を持たせた区分にしますと,より妥当でしょう。江戸時代に発行された名物
裂関係の史料には,極上代とか上代などの時代区分名称を用いていますが,著者は今泉
説の極古渡り,古渡り,中渡りなどの名称を使用して,その範囲を少し変えて試みまし
た。現在においても茶道関係の人等は名物器に,大名物,名物,中興名物の名称を用い
られ,名物裂に対しても古渡り,中渡りの時代を使っております。名物裂なる染織品は,
名物裂として取り扱う時点においては,飽くまでも器物の付属的存在であるため,時代
名称も今泉説が一番そのニュアンスを持つように思います。
今泉説に少しの幅を持った時代区分は,
一、極古渡り 室町初期までに渡来したもの
一、古渡り 室町中期頃までに渡来したもの
一、中渡り 室町初期から末期までに渡来したもの
一、後渡り 室町末期から桃山期までに渡来したもの
一、近渡り 江戸初期頃に渡来したもの
一、新渡り 江戸中期頃までに渡来したもの
一、今渡り 江戸中期以降に渡来したもの
時代に付した名称が,古臭い名称で非科学的と唱える人もありますが,考え方に拠れ
ばそうかも知れません。
名物裂の渡来時期は,少しの例外はあっても,その上限が日明貿易で始まり下限も限
定された時期でもあります。その間を茶人等が使用した時代名にしたとて問題にするこ
とはないでしょう。この区分によって茶人や数寄者等が,渡来の年代から裂の製作年代
を推定しようとしました。ただ,渡来年代の新しいものは,製作年代と渡来年代の年代
差は少ないと思われますが,渡来年代の古いものの製作年代の決定は実に困難です。
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