11a 茶事と菓子
〈亭主の心入れを味わう〉
秋から冬にかけては,菓子の原料である五穀類の収穫期でもあって,穀物の香りも高
く,力もある時なのです。ですから菓子原料の自然風味もよく,小豆などの色も淡く,
皮も柔らかいときで,小倉餡にしてもその皮の舌触りがよくて,溶解する風味は客を喜
ばせてくれます。
また菓子の調味は,作る品に味を添えることですから,そのものの本質をよく知った
上でなければなりません。ただ無意味に調味することは,自然の味を失うからです。利
休居士の逸話は数多く伝えられていますが,その中で最も重要な極意として「茶の湯は
平素にあり。即ち渇し来る者には茶を供し、餓し来る者には飯を呈し、清談を遷す。こ
れを真の茶の湯」とありますように,あらゆる行儀は茲から始まって来るのでしょう。
茶菓子に用いられるような,良質で特別な原料は産額も少なく,現代のような消費人
口の多い時代においては,昔と比べて味に少し変化があると云われています。文明の生
んだ機械は,製菓の能率を向上させましたが,風味には矢張り無理が出ます。茶菓子と
して作る場合には,味覚が第一で,料理と同様形状美よりも味と栄養価を備えているも
のこそ適していると云えます。
一般的に菓子は,ただ甘いものを最上のように思い,菓子の好きな人を甘党と云って
おりますが,茶菓子はただ甘いだけのものと違って,茶に合わすものですから,本来の
味を失わぬように,淡泊で美味しいものが作られなくてはなりません。
また茶には,幾口にも切って食べなくてはならない大きな菓子は必要とせず,小さい
一口型で十分と云う人もおりますが,実際から云いますと,小型では真の風味は味わう
ことが出来ませんので,二口程に食べられる菓子が良いのではないでしょうか。其処に
亭主の心入れの風味もよく味わえて,客としても心入れが変わり,茶席での相当の挨拶
が出来ます。最近は大型で,高額の菓子が見られるようですが,亭主は客に出す料理・
菓子には常に心して,茶の湯本来の真意を知っていただきたいと思います。
南蛮からイエズス会が巡察のため,わが国にやって来ますと「日本の習慣と気質に冠
する注意と警告」の報告書を自国に送っていました。それには当時流行していた茶の湯
についても,微に入り細を穿ち書かれています。その一例として挙げますと,
「・・・・・・それから部屋に戻ってきて、客人に向かい、茶を飲むための食事時になりま
すからと告げて、奧に入り、手ずから食台(膳)を運んで来て、各人の前に据える・・・・
・・(中略)・・・・・・食台を一つずつ奧へ下げて、食後の果物としていくつかの適当なもの
を台に小量のせて各人の前に運んで来て、奧へ引き下がる・・・・・・」
などと,茶会のことが詳しく書かれています。この時の果物とは現在の菓子のことで,
柿,栗,蜜柑などが出たようです。
当時の主菓子には餅類を用いました。ほかには色付きの山の芋や栗,麩,熬豆イリマメ,
干し柿などでしたが,安土桃山時代になって水餅,栗餅,葛餅,栗子餅クリコモチなどが用い
られるようになっても,矢張り餅を主としていました。甘味は,甘葛アマズラや飴などで調
味をして,特別なときだけ砂糖が敷砂糖として出されていました。
この頃干菓子はなく,氷砂糖,栗,柿,榧カヤ,昆布,柑橘類に塩鮑シオアワビ結び,みず
から(昆布菓子の一つ)などを置き合わせ,茶会などに面々(銘々)菓子器に出されて
いたのです。
江戸時代初期にもさして変化なく,餅などを赤小豆,大豆粉,栗粉,砂糖などで風味
をよくして食べるようになって,寛文カンブン頃から餅類に飴を用い始めたのです。普通一
般は塩味を甘葛で調味し,餅菓子を茶に用いるようになって,餡には味噌や飴類を使用
しています。
当時,茶をする人達は男性であって,料理なども亭主である男性が作って出したので
す。ですから味覚も男性的であったと思われます。
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