11 茶事と菓子
茶事と菓子
参考:新潮社発行「和菓子の楽しみ方」
「和菓子」につきましては,本稿と併せ
て,[55 食而健康]をもご笑覧下さい。
SYSOP
〈四季の風情・趣向をうつす〉
茶の菓子は,長い歴史の間に,お茶の味を基本に考えられながら変化して来ました。
現代においては茶と菓子は車の両輪のように,お互いになくてはならないものとなって
います。
お茶には抹茶ばかりでなく,煎茶や番茶など色々の種類があって,昨今では中国茶や
紅茶まで家庭においてよく飲まれています。菓子もそれに相応しいものを選ぶのですが,
茶請ウけとしてはお茶と調和するものであれば,何でなくてはならないと云うことはあり
ません。味噌でも梅干しでも,また香の物でも,茶が美味しく戴ければよく,実際地方
に行きますと香の物とか南瓜の煮たものを出す処が現在でもあります。
味覚の五味と云う言葉は,酸味,苦味,甘味,辛味,鹹味カンミ(塩気のこと)の五つの
ことを云います。五味は料理ばかりでなく菓子にも同じく当てはまり,甘味のほかにも
いろいろな味が調和して作り出されているのです。好き嫌いによって一定ではありませ
んが,例えば抹茶には香りのあまり高いものや,溶解(口に入れたときの感触。口溶け
)の悪いものは適していません。
お茶が中国から渡来して用いられてからも,鎌倉時代の頃は,菓子は未だお茶には添
えられていませんでした。室町・桃山時代になっても菓子を作ることは未だ一般的では
ありませんでしたので,茶菓子としては特別には必要としなかったのです。この頃まで
は,お茶と菓子との結び付きはまだまだでした。茶席に出す菓子は,茶の風味をよくす
るために添えられたのが例になって,次第に茶と菓子が結び付いてきたものなのでしょ
う。江戸時代初期までは,以前のように木の実,果実,餅などを菓子としていたのです。
本能寺の変(1582)のとき,織田信長は茶の湯の床に中国の趙昌筆の「菓子の絵」を
飾っていたと云われますが,残念ながら焼失してしまいました。それには,
蓮二 菱三 アリノ実(梨) 葡萄 柘榴 桃 久年母クネフ(柑橘カンキツ)
など7種類の果物が描かれていました。この頃の甘味は自然の味から摂っていたのです。
それは今も茶席の菓子に,柿や栗の実など自然の風味の良さとして伝えられています。
やがて茶の湯が盛んになるに連れて,普通のお菓子から分かれて,お茶に調和するい
ろいろの菓子が出来てきたのです。素朴ですが,原料などにも大きな違いがあって,風
味にも特別の注意が払われるようになって来ました。
利休居士の茶の湯の心得には,「夏ハイカニモ涼シキヤウニ、冬ハイカニモアタゝカ
ナルヤウニ」(『南方録』)と書かれていますが,勿論これは菓子にも当てはまる言葉
なのです。茶の菓子も,四季の風情・趣向に色や銘を考え,四季の味わいを生かして,
味覚にも真の風味を以て味わうものなのです。亭主が,ただ菓子であれば良いと云うよ
うに人任せにするものではないのです。
本来,亭主は料理から菓子まで考案して作るべきで,客振りによってその材料を選び,
老若により加減する必要もあるのです。既製のものと同様では味わいがありませんが,
亭主が料理も菓子も吟味する心配りをして,客に出しますとその心入れは亭主の手製と
同じで,如何にも茶味のあるものが出来ます。
松江の藩主松平不昧侯フマイコウ(1751〜1818)の言葉に「客の心になりて亭主せよ。亭主
の心になりて客いたせ」とありますが,この言葉は茶の心得であると同時に,また一般
にも客扱いの心得とすべきものでしょう。
本来の茶事(茶会)には,濃茶と薄茶がありますが,催しによっては薄茶ばかりのこ
とも多い訳です。しかしお菓子は必ず出されて,濃茶には主菓子オモガシとして蒸菓子類を
用い,薄茶には干菓子を用いることが基本となっています。薄茶だけの催しのときは,
蒸菓子と干菓子の二種が用いられますが,これには二種使う規則はなく,干菓子だけで
も良いのです。
お茶は若芽の加減によって,八十八夜が過ぎますと葉を摘み,茶摘みが終わって製茶
が済む頃,碾茶ヒキチャ用の壷に詰められて,茶師によって封をされた後,各出入り先へ納
められます。このことは古くからの習慣になっております。
その茶壷は保存され,十一月立冬に入りますと,亥の日に炉を開いて「口切りの茶事
」によって封が切られます。茶臼で碾ヒいて使います。新茶の香りが大変喜ばれます。
茶と同様,菓子も十一月頃から翌年一月頃にかけて,風味の最高のものが出来る時期
で,口切りの茶と調和して味わわれます。この季節の催しは実に多く,茶の社会におい
てはお正月のようなものです。
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