04a 道具の見所
△釜
釜は,茶道具の中においても重要な道具の一つで,九州の芦屋辺りにおいて,室町時
代初期頃から作られていました。大振りのものは炉用,小振りのものは風炉用となって
います。その形や肌に鋳イられた地紋ジモンによっていろいろな名称が付けられています。
主な名称は,口(口作り),口際,肩,カン(金偏+丸)付カンツキ,胴,刃落(毛切),
火包,火受などです。
芦屋釜アシヤガマとは,筑前国(福岡県)遠賀オンガ川河口の山鹿庄葦屋津において鋳造さ
れた茶湯釜です。芦屋釜に関する文献では『看聞御記』の中の,嘉吉カキツ三年(1443)正
月廿二日条に見えるものが最も古い。また一条兼良の『尺素往来セキソオウライ』にも,芦屋鑵
子カンスの記事が見られます。現存する作品で最も古いものは,根津美術館蔵の真形シンナリ霰
アラレ地紋釜であり,これには永正エイショウ十四年(1517)の年紀が付されています。
この芦屋釜は筑前大名大内氏歴代によって保護改良され,質と量とは共に発展しまし
た。しかし天文テンブン二十年(1551),陶晴賢に滅ぼされてしまい,それ以後芦屋の大工
タイコウ等は四散して,播州・石見・伊予・京都・越前・伊勢などに移って芦屋風の釜を鋳
造しました。それらの釜にはその地の名を冠して播州芦屋・石見芦屋などの呼称が生ま
れています。
芦屋釜の特徴としては,まず真形シンナリを基本形とする点が挙げられます。鐶付には鬼
面・松笠・獅子噛シガミ・亀などがあります。地肌は絹肌・鯰肌などと称して美しい艶が
あり,また大変滑らかですが,これは地紋を明瞭にするための工夫が施されているので
す。地紋は松に州浜・松竹梅・山吹・藤などの植物,鶴・鷺・鶏・馬・鹿などの鳥獣の
他に幾何学紋も多く見られます。また霰,霙ミゾレなどの文字,動物を組合せたものもあ
ります。
芦屋釜は,書院台子の茶とは切り離すことの出来ないものであって,中形の芦屋釜は
風炉に掛けられます。大形の芦屋釜は炉用の釜として,桃山時代に作られたものです。
天命釜テンミョウガマとは,下野国佐野庄天命(佐野市)において鋳造されたもので,最古
の遺品は鎌倉極楽津寺にある尾垂オダレ釜であり,文和ブンナ元年(1352)の年紀が見られ
ます。
天命釜は室町時代になって,京都に多く上されたものと思われますが,天命と云う表
記は江戸時代中期の天和テンナ三年に至って,天明テンメイと改められました。また小田原天命
釜と云うものも知られていますが,土豪佐野氏と北条氏は姻戚関係もあることなどから,
あながち無関係とは云えないでしょう。
天命釜は三足釜や甑口コシキグチ釜などから変化したものですが,手取釜などからは常張
釜と云うものなどが作られたのです。羽は早くから退化し,鐶付なども遠山・撮・鬼面
・獅子などの単純なものが殆どであり,桃山時代以後,芦屋釜の影響を受けて,松笠や
竹節の鐶付が生まれています。地紋も同様に単純で,文字や筋,霰などが多く見られま
す。芦屋釜が地紋に重点を置いているのに対して,天命釜においてはその荒々しい肌の
素朴な感じを生かして侘びた釜を造ったのです。
釜屋釜カマヤガマとは,室町時代末期から京都三条釜座カマンザにおいて製作された茶湯釜
で,京釜です。関連する文献としては天文テンブン二十三年(1554)の『茶具備討ビトウ集』
に京釜の名が見えます。
『釜師之由緒』に拠りますと,西村道仁や名越善正などが,天文・弘治・永禄時代の
京釜の代表的作家として挙げられています。利休の釜師辻与次郎も名高く,江戸時代に
は名越・大西・西村等の諸家が技を競いました。また名越と大西定林は江戸に下って,
それぞれ家業を継ぎ,一方金沢においては宮崎寒雉カンチが千叟センソウ宗室の好みの釜を鋳ま
したが,それ以後金沢に住み着いて業をなしました。
△炉椽ロブチ
元来,炉と云うものは草庵の茶を象徴するもので,武野紹鴎の時代には未だ炉の寸法
は一定せず,釜の大小によって切られていたと云うことが,『南方録』の中に伝えられ
ています。しかし,千利休は永禄エイロク十二年の堺の茶会において,既に一尺四寸(42.4
p)の炉を用いています。
初期の茶書『烏鼠ウソ集』には炉椽は本来木地が用いられるべきであり,塗物は老者の
技ワザであると述べられています。一般的には小座敷においては木地,四畳半においては
薄塗もよく,広間や書院においては真塗シンヌリ,又は蒔絵などが用いられ,座敷と茶趣に
適したものを用いるのが良い。
炉椽の蒔絵は花筏,海松ミル,雪花,芽張柳など水に関連のあるものが多いが,火の側
に用いるものとして,このような装飾意匠が選ばれるのは当然です。従って朱塗などの
火気を連想するものは好ましくないとされています。
△風炉フロ
釜を掛け,湯を沸かすのに用いる唐銅製・鉄製・土製・木製などの風炉があります。
古くは台子皆具の一つとして切掛キリカケ風炉が用いられていましたが,釜の形状に合わせ
て,それに映りの良い形態のものが現れ,五徳ゴトクを据えて釜を掛けるようになりまし
た。
書院茶においては唐銅風炉が主流であり,芦屋真形釜の錏羽に合わせて切掛風炉が用
いられ,風炉は寺院の香炉形のものが中心をなしました。
京釜や天命釜の羽のない釜には頬当ホオアテ風炉や道安ドウアン風炉のような形のものが用い
られました。
また一方,侘び茶の方においては,奈良の春日大社や興福寺の土器の工人等がいわゆ
る奈良風炉と称する土風炉ドブロを製作しました。土風炉師宗四郎が有名となり,珠光・
紹鴎時代から利休時代にかけて活躍し,京都に移って秀吉から天下一の称を授かり,後
に永楽エイラク(西村家)の祖となりました。
△水指ミズサシ
水指とは,水を入れて点前座テマエザに据える道具です。その種類は真台子シンノダイスに用
いる真の皆具カイグの一つとしての唐銅水指を始め,金属・磁器・陶器・塗物・木地のも
のなどがあります。また台子・棚・長板に載せて用いる場合と,直置ジカオキにする場合と
があります。運びになるか置きになるかは,大きさによって分けられます。
水指には濃茶に相応しいものと,薄茶向きのものとがあります。濃茶には南蛮の水指
が重用され,漢作・唐物茶入などが取合うものであり,備前・伊賀・信楽・唐津・志野
などもまた唐物や瀬戸茶人に相応しい。染付・祥瑞ションズイ・赤絵・色絵水指は薄茶用の
水指です。磁器質のものは,本質的に薄茶の雰囲気を持つものです。
点前座に置合わせる道具の起点をなすものは水指です。台子の場合は古来「台子の四
つ組」と云って,風炉釜・水指・杓立・蓋置(建水と組合わせる場合もある)を皆具と
称していました。
濃茶と薄茶とでは,重点の置かれる対象が異なっています。濃茶においては茶入に,
薄茶においては水指に重点が絞られます。書院茶においては大棚・台子が基本ですが,
草庵茶においては畳に直置が基本となっています。しかし水指の素材によって直置の出
来ない砂張サハリ・モール・磁器・施釉陶・色絵陶などは棚を用いる慣わしです。それも塗
物の棚に限られ,真塗・溜塗タメヌリ・春慶・目弾メハジキ・柿合カキアワセ・爪紅ツマグレなどです。
施釉陶においても志野・唐津のような水指は一閑張イッカンバリや木地の棚が相応しく,自然
釉陶の伊賀・信楽・備前・丹波などは山里棚のような特殊な砂摺りの棚に水を濡らして
用います。
[次へ進んで下さい]