0205茶道の歴史
 
〈江戸時代の茶道〉
 
△茶人の職制化
 徳川幕府によって,中央集権的な封建制度が確立され,士農工商の身分が定まります
と,茶人も,幕府において職制が設けられ,将軍家の師範,江戸城内における数寄屋頭
スキヤガシラ,茶道方サドウガタ,茶坊主チャボウズなどの階級に分けられ,それぞれ知行チギョウを
与えられました。全国の各大名もまた,幕府の制度を見習って,茶人を召し抱えるよう
になりました。茶人がこのように幕府や大名に召し抱えられたのは,幕府が格式の高い
儀礼をその行政政策に用いたので,小笠原流の礼法などと共に,茶道も採り入れたので
す。
 このように茶人が職制化され,自ずから階級のようなものが出来ますと,茶人等はそ
の地位を作るために,何々流家元とか,何々流家元の高弟であるとか,又は家元直々ジキ
ジキの弟子であるとか,資格を身に付ける必要に迫られたのです。
 
△町人の間に茶道が流行
 幕府,諸大名,公卿等の間に茶道が盛んになりますと,町人の間においても茶道が流
行しました。特に諸大名出入りの御用商人は,商売の取引に茶道を利用しました。茶会
や茶事の催しが多くなったのは,そのためでもあります。
 江戸時代の中頃から後になりますと,儒学ジュガクが勃興しましたが,それが幕府に用
いられ出しますと,幕府の庇護によって勢力があった仏教が衰微しました。それに従っ
て,仏教的思潮が多分にあった茶道は儒者の権勢に圧迫され,茶人に対する待遇も低い
ようになりました。そこで茶人等は,経済的に豊かな町人を対象として,いわゆる町の
宗匠として,その勢力を伸ばすことを考えました。このように,いち早く知行を捨てて
町人相手の指南を始めた流派は,現在も残っていますが,知行のみに頼っていた流派は,
流名は残っていても,微力にものとなっています。
 
〈明治から現代へ〉
 
△幕末
 やがて幕末となって開国,そして王政復古,明治維新と,世相は慌ただしく変化し,
廃藩置県と云う大改革が行われますと,これまで幕府や藩主から与えられていた知行に
よって生活を維持していた茶人等は,経済的に大打撃を蒙り,最早格式に頼ることが出
来なくなりました。更に文明開化の時世になりますと,これまでのような封建的色彩の
強い茶の湯の形式によっては,一般の民衆から興味を持たれなくなり,茲に一時,茶道
の不況時代が到来しました。しかも封建的な格式に安住して,形式的な点前作法の教授
に終始していた茶人等には,時勢に処する頭の切り替えが出来ず,この不況を乗り切る
ことが困難でした。
 そ中において裏千家十一代家元玄々斎宗室は,明治五年作意を凝らして,椅子,卓子
によって点前をする立礼式リツレイシキを考案し,新時代の茶法に順応しようと努めました。
 
△明治
 明治時代も日清,日露戦争の頃になりますと,国粋思想が興って,茶道の精神も再検
討され,更に第一次世界大戦前後にかけて,わが国の経済力が飛躍的に増進し,いわゆ
る富裕な資本家が続出すると共に,維新前後には,二束三文に近かった茶道具類の値段
は著しく上昇し,再び茶道の好況時代が到来したのです。そして,最も伝統が古く,か
つ比較的作意にも富んでいた千家の茶道が,他の諸流派を圧倒して,その勢力を盛り返
し,現代に至っています。
 
△明治以後
 しかし明治以後の茶道は,江戸時代のように格式張ったものでなく,民主化されて,
その風雅な趣味が一般民衆に親しまれるようになりましたが,その代わりに一層形式化
され,職業化された感もあります。これは,明治時代までは,茶道の師範は男子に限ら
れていたのですが,茶道が一般化しますと,茶道を学ぶ者が男よりも女が多くなり,従
って,女性の師範者が増加したためでもあります。そして茶道は,花嫁修業の一つとし
て,若い女性に必ず学ばねばならないようになりましたが,一方,これまであまり問題
にされていなかった茶道の理論の研究,歴史的考証,茶器の鑑賞なども,好事家や学者
の間において進められるようになりました。

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