0204a茶道の歴史
 
〈茶道の流派〉
 
 江戸時代中期になりますと,多くの茶道の流派が生まれました。利休と同じ紹鴎門で
あった薮ノ内紹智は,三千家が確立する以前から京都の下京に住み,薮ノ内流を称して
いました。世間においては三千家が上京に住んでいた関係から,三千家を上流,薮ノ内
を下流と区別していました。
 
 利休の門下からは,次のような流派が生まれました。
 
 有楽ウラク流 織田信長の弟の長益が始めた流派で,現在も続いています。
 三斎サンサイ流 利休の七哲の一人と云われた細川忠興を始祖とします。
 織部オリベ流 矢張り七哲の一人,古田織部を始祖とします。創意に富んだ人で,いろ
  いろな優れた好みの道具を遺しています。織部燈篭は,石燈篭の竿の部分にマリヤ
  観音らしきものが彫ってあるところから,キリシタン燈篭とも呼ばれています。ま
  た,織部焼の陶器もその好みであると云われます。
 南坊ナンボウ流 利休の弟子南坊宗啓が初代になっていて,九州地方に盛んでした。宗啓
  は利休の談話を筆記して『南坊録』と名付けましたが,利休の茶道を知る上の重要
  な資料となっています。
 宗和ソウワ流 金森宗和が初代です。利休の弟子ではなく,利休の実子道安の弟子とも伝
  えられます。
 石州セキシュウ流 片桐貞昌を初代とします。貞昌は石見守小泉一万石の大名でした。宗和
  と同様道安の弟子で,石州流は幕府の茶道役として,将軍を始め,諸大名の茶道指
  南を務めました。
 遠州エンシュウ流 江州小室の一万石の領主小堀政一を始祖とします。徳川家光の茶道指南
  を務めました。
 不昧フマイ流 雲州侯と呼ばれた出雲の松平不昧が始祖となっていますが,不昧は別に茶
  道の流派と立てようとは思っていませんでしたが,後世こうした流派が作られてし
  まいました。
 
 以上の流派は,現在も伝えられ,それぞれ家元も存在していますが,その始祖は,南
坊を除いて皆一国一城の主人アルジです。初めは,茶道を趣味として嗜タシナんでいました
が,その近臣のもの,茶道の相手をしていた人などによって,何時の間にか一流の始祖
にされてしまったのです。
 
 三千家を中心として生まれた流派は,それと比べますと,庶民的な匂いが強い。
 
 宗扁(彳偏+扁)ソウヘン流 宗旦門の山田宗扁(彳偏+扁)が,師に代わって江戸に出
  て茶道指南をしたのが始まりで,後に一流を立てたのです。
 庸軒ヨウケン流 藤村庸軒が始祖になっています。京都上京の大きな呉服問屋の主人でし
  たが,宗旦に茶道を学び,晩年は洛東黒谷に住んで,茶道三昧の生活を送りました。
 久田ヒサダ流 表千家より分かれました。
 普斎フサイ流 宗旦門下で,伊勢大神宮の御師杉木普斎を始祖とします。
 堀内ホリノウチ流 江戸の人で後京都に移住して表千家を学んだ堀内仙鶴を始祖とします。
 松尾マツオ流 尾州家の茶道役松尾宗二を始祖とします。
 速水ハヤミ流 裏千家に代二灯宗室の門下で,速水宗達が始祖となります。
 不白フハク流 表千家門で川上不白より始まります。
 
 このほか,多くの流派が生まれましたが,その殆どは前記の流派から更に分かれたも
のと云ってよい。このように,茶道に多くの流派が出来たと云うことは,茶道を学ぶ人
が増加したからであると云うことが出来ます。
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