0203b茶道の歴史
 
△利休の茶道
 紹鴎よりも一層わびを深めたものですが,と云って,紹鴎の幾分隠遁的に考えられる
ようなものではありませんでした。利休が弟子の南坊宗啓に口述した『南坊録ナンボウロク』
において,
 
 紹鴎のわび茶の湯の心は、新古今集の中、定家朝臣の歌に、
 「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」此の歌の心にとこそあれと
 被申となり、花紅葉は則書院台子の結構にたとえたり、其花も紅葉もつくつくとなが
 め来りて見れば、無一物の境界浦のとまやなり、花、紅葉を知らぬ人の初めよりとま
 やに住まれぬ所元々
 
と云っており,利休自身は,わび茶の心を「花をのみまつらむ人に山里の雪間の草の春
をみせばや」藤原家隆の歌に託しています。その雪間の草の歌の心は,
 
 雪間雪間の所々に、いかにも青やかなる草が、ほつほつと、二葉三葉も、もえ出てた
 る如く、力を加えずして真なる所のある道理
 
と云い,それがわびであると説いています。即ち紹鴎の隠遁的なわびに対して,利休の
わびは,静かさの中に,新しい活動力を潜めたものです。こうしてわびの思想が,活動
力に富んだ当時の人々に適応したのでした。
 
△利休の美意識
 利休は,茶器類にも,いろいろな改革をしました。例えば,その頃までの茶器類は,
未だ中国渡来の唐物と称するものが珍重されていましたが,利休は,朝鮮から帰化した
陶工に,自分の創意による茶碗を焼かせました。これが楽焼ラクヤキです。また,茶入など
は,瀬戸や備前などにおいて作らせました。海外から輸入されて来るものでも,青磁セイ
ジとか染付ソメツケのような美しく整った形の茶碗などよりも,朝鮮から働きに来る職人等
が,日用雑器に持って来た物の中から,茶碗や水指として使用出来るものを見出しまし
た。その他,魚屋が使用していた皿とか,井戸の釣瓶ツルベとか,利休の優れた審美眼に
よって,茶器として採り上げられたものは少なくありません。
 点前テマエに使用する棚も,台子以外には,紹鴎の好んだ袋棚位しか無かったのですが,
利休は,それらの棚が,狭い茶室には大き過ぎるので,小型の棚なども好みました。茶
器以外にも,雪踏セッタや馬具の類,刀の鞘なども,彼のわびの心を活かして,考案してい
るのです。こうしたことが,わが国の陶芸や工芸の発達に,大きな貢献をしているので
す。
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