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「鏡を覗く」考

 
[仏の正体は神ではないだろうか]
 
 天とは、神のことであり、また神々の領域 − 住む所でもある。
 
 仏教に云う「涅槃」とは、理想の境地である。また「極楽」とは、阿弥陀仏の居所とされる浄土、即ち安楽な世界のことである。
 そこは、いろいろな「天」によって守られている。従って、そこは「神の国」であると云うことが出来る。
 
 一方、仏像などの光背は、いわゆる「光背効果」を目的としている。つまり、その光背の究極は、大日如来=太陽と云うことになる。
 
 そのように考えてくると、仏=神とも理解される。
 
 文学博士故加藤玄智氏によりますと、
 「……このように神と人とが全く分離しているのに反して、神人即一教では、神は内在し、神は人の内に見ることができると云っている。吠陀教、波羅門教、印度の仏教、中国の儒教と道鏡及び日本人の宗教である神道は勿論、古代ギリシャやローマの宗教も亦そうであった。この特色は仏教の教主釈迦牟尼即ち喬荅摩(ゴータマ)の宗教に最も良く現れている。外人方は、これは不思議だと思われるかも知れない。と云うのは釈迦の信仰は屡一種の無神論として取上げられ、それは全く宗教ではないとさえ、されているからである。釈尊が普通に考えられているような意味の神については全く説いていないのは事実である。しかし教主自身の主観的な人格の中に神が客観的に取入れられているのである。即ち主観と客観が一つになっているのである。このように仏教はその最も原始的な形式の内で神人即一教信仰の最も著しい一例となっているのである。……」
と。
 
[詳細探訪]
 
 即ち、釈尊は「神」なのである。
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