13a 楽舞考[太笛・横笛・高麗笛・笙・篳篥・莫目・尺八]
 
[篳篥]
篳篥は、原名は悲慄、本と西土亀玄(玄偏+玄)国より出づ。其の声の悲壮なるを以て
名とす。字また篳篥或は必(草冠+必)篥に作る。之をヒチリキ、またヒチリキノフエ
と称す。大篳篥に対して、或は小篳篥とも称せり。
管の長さ六寸、九竅アナを彫る、竹の本を以て首とし、末を以て尾とす。尾の径り三分許、
蘆を削て舌と為し、管首に挿定して、含みて以て之を吹く。故にアシブエの称あり。
表に七孔あり。裏に二孔あり。第一孔を丁テイと曰ふ、其の音は黄鐘の清たり。裏の孔を
亠シャウと曰ふ、其の音双調の清。表の第二孔を一イツと曰ふ、其の音下無。第三孔を四シと
曰ふ、其の音平調。第四孔を六リクと曰ふ、其の音壱越。裏の下の孔を無名と曰ふ、此孔
は用ゐる事なし。第五孔を凡ハンと曰ふ、其の音神仙。第六孔を工コウと曰ふ、其の音盤渉。
第七孔を五ゴと曰ふ、其の音黄鐘濁。九孔皆塞ぎ、其の管尾を吹くを舌ゼツと曰ふ、其の
音双調の濁なり(亠一六凡工、読み勝聿戮氾江の如し。笛孔の名、呉音を用ゐる。故に
漢音を以て之に別つなり)。
配音此の如しと雖も、孔毎に二律を具へ、気息の緩急、按指の運用に由りて、十二律備
はらざる所なし。
本邦此を神楽に用ゐ、催馬楽、東遊、朗詠に合せ、また唐、高麗の二部に通用す。
延喜中、大石峯良あり、最も其の技に精し、後世推て以て其の祖と為す。安倍氏統を継
ぎ、今に至て其の家声を墜さずと云ふ。
 
別に大篳篥あり、こゝに附載す。
 
[莫目]
莫目は、或は莫牟に作り、読てマクモと云ふ。
高麗、百済の二部に通じ用ふ。蓋し三韓の貢する所ならん。
倭名類聚抄これを管籥類に収む。則ち其の竹属たるを知る。形状声調今得て攷ふ可から
ず。
 
[尺八]
尺八シャクハチ・サクハチノフエは、李唐の初め、呂才の造る所、其の長さ唐の小尺一尺八寸(今尺一
尺四寸五分余に当る)、因て名を得たりと云ふ。
唐六典に燕楽部に収め、本邦また唐楽に用ゐ、尺八師、尺八生の名、格式に著はる。
其の器、上半に竹節あり、竪に之を吹く。
面に四孔を彫る。各々名あり、第一孔を真懐と曰ひ、次を角録と曰ひ、次を賢仁と曰ひ、
次を舌捍と曰ふ。背に一孔あり、其の名を後言(言字を三字合わせ)と為す。
初め才の之を製する器たる、凡十二枚、長短同じからず。蓋し古律の黄鐘は九寸にして、
其の音清高にして、人声と近からず。故に九寸を倍して、一尺八寸と為し、上生下生し
て、以て十二枚を作りしなり。本邦に伝ふる者、亦此の如し。
 
体源抄諸書に注する所、歴々徴す可し。其の一名を洞簫と為すと云ふは恐らくは伝会な
らん。其の按譜亡佚して、其の声調を知るに由なし。洵マコトに惜む可きなり。
中古以来、これを田楽に交へ用ゐ、其の器も又漸く譌長を致せり。然れども後世謂ゆる
尺八とは其の製覓に別なるものありき。
 
後世の尺八は、管の長さ今尺の一尺八寸なるに由りて亦此名あり。節三にして、孔は古
の尺八に同じ。本を管尻とし、末を吹口とす。
また一節切ヒトヨギリは、其の実古の尺八の製を変じたるものにて、一尺八分の管に、一節
を存して截れるに由り名づくる所にして、節の上を三寸八分、下を七寸に製するを法と
為し、其の管も尺八より細くして、本を吹口とし、末を管尻とす。然れども後世は汎く
一節切の事をも尺八と称す。因て今其の区別し難きものは、併せて後世尺八条に載せた
り。
 
抑も後世の尺八は、中古別に支那より伝へたるものなるべし。
一節切は足利幕府の末に宗佐と云ふ人あり。此技を伝習し、終に斯道の祖と仰がる。
尋で織田氏の時、大森宗勲此技を中興し、晩年後陽成天皇の勅を蒙り、五調子の尺八を
製し、名声甚だ高かりしと云ふ。
徳川氏の初に、此技盛に行はれて、貞享元禄の頃まで、名人陸続輩出せり。
是より先世に薦僧と云ふ修行者あり。専ら尺八を吹奏して、諸国を行脚しければ、尺八
は殆ど薦僧の特有物の如くになりて、後世尺八を学ぶものは、初は必ず薦僧を師とする
如き勢なりき。
 
後世尺八の曲は古くより海道下り、れんぼ流し、吉野山、鶴の巣篭、虚空鈴等の三十六
曲あり。是を本曲とし唱歌はなし。別に外曲と云ふありて、是は大方箏又は三線の曲譜
に合奏するものなり。
然れども其の始は単独にのみ吹奏し、音調優美にして淫靡なる節とてはなかりしを、箏
三線の曲譜に合奏する様になりては、自ら鄙猥に流れしが、猶ほ三線などの如く甚だし
きには至らず。
此技の流行は、貞享元禄の頃を以て特に盛なりとす。当時世に男伊達と称せらるゝ者多
く此器を弄び、終には弄吹を解せざる者すら、尚ほ此器を腰間に挿みて装飾に供し、市
街に玄(火偏+玄)耀する風ありき。

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