07 楽舞考[楽人・舞楽装束・田楽]
 
[楽人ガクジン]
楽人は、歌舞音楽を以て職とするものなり。
大宝制令の時、雅楽寮を置きて、男女楽人の事を管せしむ。
中世以降、楽人には豊原、多、狛、大神、安倍、中原等の諸家ありて、之を世職とす。
此等の楽人中、京都に在りて、朝廷に奉仕するものと、奈良及び天王寺に住して、其の
寺社に専属するものとあり。
此三所を総称して三方楽人と云ふ。
徳川幕府の時、三方楽人の内を招致して幕府楽人とし、寺社奉行支配とす。
 
近世三方の楽人の師弟十五歳以上にして、課試を望む者の為に、時を期して之を行ひ、
先輩者入札を為して、其の優劣を定む。
其の選に当たれる者を称して三方及第と云ふ。
 
[舞楽装束]
舞楽の装束には、倭舞東遊の如き、我国固有の楽に用ゐるものと、唐楽高麗楽の如き外
国伝来の楽に用ゐるものとの二種あり。
前者をば通常之を舞人装束と称し、後者をば之を唐装束と称す。
唐装束には、また常装束、別装束の別あり。
常装束とは、鳥甲トリカブト、半臂ハンピ、下襲シタガサネ、表袴ウヘノハカマ、赤大口アカオホクチ、忘緒
ワスレヲ、石帯セキタイ、襪シタウヅ、糸鞋シガイ、付(革偏+付)掛、末広スエヒロ等の一具したるもの
を謂ひ、別装束とは、胡飲酒、秦王、玉樹等の装束の如く、其の一曲にのみ用ゐるもの
を謂ふ。
唐装束には、また左方(唐楽)、右方(高麗楽)に因りて其の服色を分ち、文舞武舞に
由りて其の服玩を異にする等の事あり。
仮面は木を彫刻したる物を以て常とすれども、一種厚き白紙を用ゐて作れるものあり。
之を造面と云ふ。
 
舞台は、舞人の舞楽を行ふ処にして、高舞台、敷舞台の別あり。
楽屋は原と楽人の著座して楽を奏する処の称なれども、後には楽人の装束所をも称せり。
 
[田楽デンガク]
田楽は中古田植えの時、笛鼓を鳴らし歌舞をして、其の労を慰めしに起因せしならん。
田植の状を摸せるものにして、其の曲に刀玉、高足、一足等の能あり。
其の器に腰鼓、振鼓、銅跋(金偏の跋)子、編木等あり。
当時盛に上下に行はれしものにて、堀河天皇の永長元年の大田楽の如きは、殊に著名な
るものなり。
鎌倉幕府の時には、専ら僧の業に属し、其の人を田楽法師と称し、本座、新座の二部に
分りたり。
中に能芸と云ふものあり。北野物狂の能、女の敵討たる能の如き是なり。
要するに此芸は足利氏の時、猿楽の隆盛なるに及び、漸次衰廃して、後には春日、住吉、
日光等の諸社祭祀の時に、僅に之を見ることを得るのみ。

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