05 楽舞考[催馬楽・風俗歌・東遊・歌垣・踏歌]
 
[催馬楽サイバラ]
催馬楽は、三代実録貞観元年十月、広井女王の薨去の条に見えたるを以て始とす。
素と路頭巷里の謡歌なりしが、後に譜を定めて、晋(手偏+晋)紳シンシン(貴顕の人)の
間に行はれ、遂に朝廷の御遊の時にも用ゐられるゝに至れり。
足利氏の時一旦中絶せしが、後水尾天皇の寛永三年、二条城に行幸の時再興せられたり。
 
名称
又云、催馬楽と云は、催馬楽と云楽あり、其より事起り、此楽の唱歌に、「こまをもよ
ほす」と云事のありける。やがて歌になして国より歌いだしたり。我駒と云催馬楽是な
り。故に馬を催すと書きたるなり(体源抄 十中)
 
いで吾が駒 早くゆきこそ 亦打山マツチヤマ 待つらむ妹を ゆきてとく見む
                          (玉勝間 七 萬葉集十二)
 
歌章
律 我駒
いでわが駒 はやくゆきこせ まつち山 あはれ まつち山はれ
二段
つち山 まつらん人を ゆきてはや あはれ ゆきてはや見ん(以下省略)(催馬楽)
 
古寺月
ふりにけるとよらのてらのえのは井に なほしらたまをのこす月かな(無名秘抄 上)
 
[風俗歌]
風俗歌は、元と諸国に行はれし歌謡にして、後其曲調の宜しきものを撰びて、以て朝家
の謡ひものとなしゝなり。
而して大嘗祭の時には、悠紀主基両国より其土風の歌舞を奏するを以て例とす。
 
[国栖歌]
国栖歌は、大和国吉野国栖人の、元日節会、踏歌節会、新嘗祭、大嘗祭等の時、朝廷に
参りて奏する所の歌にして、応神天皇の時に起れり。
 
安和元年、大嘗祭風俗ながらの山
君が代のながらの山のかひありと のどけき雲のゐるときぞ見る
さゝ浪のながらのやまのながらへて たのしかるべき君が御代哉
                     (拾遺和歌集 十神楽歌 大中臣能宣)
 
かしのふに よくすをつくり よくすに かみしおほみき うまらに きこしもちをせ
まろがち(古事記 中応神)
 
かしのふに よこすをつくり よくすに かめるおほみき うまらに きこしもちをせ
まろがち(日本書紀 十応神)
 
[東遊アヅマアソビ]
東遊は、東舞とも云ふ。
東遊は、神事仏会或は競馬等の時に行はれしが、後には専ら神社の祭祀にのみ行はれた
り。
 
歌章
ちはやぶるかものやしろのひめ小松 よろづ世ふともいろはかはらじ
                         (大鏡 一宇多 とし行朝臣)
 
神の代の八坂のさとゝ今日よりぞ 君が千年はかぞへはじむる(公事根源 六月)
 
ちはやぶる松のを山の影みれば けふぞちとせのはじめなりける(源兼澄)
あきらけく日吉の御神君がため 山のかひあるよろづ代やへん(大貳実政)
ちはやぶるかみのそのなる姫小松 万代ふべきはじめなりけり(藤原経衡)
うどはまにあまの羽ごろもむかしきて ふりけん袖やけふのはふりこ(能因法師)
                         (後拾遺和歌集 二十神祇雑)
 
[歌垣ウタガキ]
歌垣は一に歌場に作り、また燿(但し女偏)歌カガヒの字を用うと云へり。
数群の男女、山上或は市場に集り、互に歌謡して踏舞し、相聘するなり。
而して聖武称徳両朝の時、其の歌垣の状を摸して歌舞せしめし事あり。
 
おほみやの をとつはたで すみかたぶけり
おほたくみ をぢなみこそ すみかたぶけれ
おほきみの こころをゆらみ おみのこの やへのしばかき いりたたずあり
しほせの なをりをみれば あそびくる しびがはたでに つまたてりみゆ
おほきみの みこのしばかき やふじまり しまりもとほし きれむしばかき やけむ
しばかき
おふをよし しびつくあまよ しがあれば うらこほしけむ しびつくしび
                              (古事記 下清寧)
 
しほせの なをりをみれば あそびくる しびがはたでに つまたてりみゆ
おみのこの やへやからかき ゆるせとやみこ
おほたちを たれはきたちて ぬかずとも すゑはたしても あはむとぞおもふ
おほきみの やへのくみがき かかめども ならあましにみ かかぬくみがき
おみのこの やふのしばがき したとよみ なゐがよりこば やれむしばかき
ことかみに きゐるかげひめ たまならば まかほるたまの あはびしらたま
おほきみの みおびのしつはた むいびたれ たれやしひとも あひおもはなくに
                            (日本書紀 十六武烈)
 
鷲の住む 筑波の山の もはきつの 其の津の上に いざなひて をと女壮士ヲトコの 往
き集ひ かがふ燿(但し女偏)歌カガヒに ひと妻に 吾れも 交じらむ 吾が妻に ひ
とも言問コトトへ 此の山を うしはた神の はじめより いさめぬ行事ワザぞ 今日のみ
は めぐしもな見つ 事も咎めむな(萬葉集 九雑歌)
 
をとめらに をとこたちそひ ふみならす にしのみやこは よろづよのみや
ふちもせも きよくさやけし はかたがは ちとせをまちて すめるかはかも
                            (続日本紀 三十称徳)
 
[踏歌タフカ・アラレバシリ]
踏歌は、日本書紀、持統天皇七年正月丙午の条に、漢人の踏歌を奏せし事見えたるを以
て始とす。
また一説には、天武天皇三年正月、詔して男女の別なく、闇夜踏歌せしむこと云ふ。
而して歌曲は始め唐詩を用ゐしが、後には唐詩の外に、我家、此殿、竹河、万春楽等の
曲を用ゐたり。
両京畿内に於て私に之を行ふ者は、官の厳禁する所なりしが、神社及び仏寺の踏歌は、
近代まで行はれたり。

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