118 「秋山のしたひ」
○秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは
いかさまに 念オモひをれか たくなはの 長き命を
露こそば 朝アシタに置きて 夕には 消ゆと言へ
霧こそば 夕に立ちて 朝には 失ウすと言へ
梓弓 音聞くわれも おほに見し 事悔しきを
しきたへの 手枕まきて 剣刀ツルギタチ 身にそへ寝けむ
若草の その嬬ツマの子は さぶしみか 思ひて寝らむ
悔しみか 念ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが
朝露のごと 夕霧のごと
柿本人麿・巻二 − 二一七
「秋山の真赤な紅葉モミジに、太陽が透き通っているような美しい女、なよ竹のように
柔らかく、しなやかな人だった。なんと思ったのだろう。にわかに死んでしまうとは。
儚ハカナく消える露や霧ではなく、まだまだ命の長い人であったのに」。
「したひ」とは紅葉が日に照り映えることを云います。人麿の歌は続きます。「美し
いと云う噂は聞いていた。でも自分はちらと見ただけだった。何と惜しいことをしたも
のだろう。自分でさえそう思うぐらいだから、毎夜共寝した夫はどんなに淋しがってい
ることか。あの人は未だ死ぬべきではなかったのに死んでしまった。儚ハナナい露や霧のよ
うに」。
釆女とは、地方豪族から宮廷に献じられた若く美しい少女等でした。昔は宮女メシオンナと
も呼ばれ、中には帝の愛を得て大切にされました。大友皇子や志貴皇子も、母は釆女で
あったと云います。
しかし律令制が整うに連れて地位が変わり、下級の女雑役人に下がって行きます。一
般に結婚は禁じられていましたが、身分の低下と共に夫を持つ釆女も出てきたのでしょ
う。
猿沢池の辺に、悲恋の釆女を祀る釆女神社がひっそりと建っています。『大和物語』
の伝える悲しい物語です。
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