117 「越智野オチノ」
 
○飛鳥トブトリの 明日香アスカの河の 上つ瀬に 生ふる玉藻タマモは
 下つ瀬に 流れふらばふ 玉藻なす かよりかくより
 なびかひし つまの命ミコトの たたなづく 柔膚ニギハダすらを
 剣刀ツルギタチ 身にそへ寝ねば 烏玉ヌバタマの 夜床も荒るらむ
 そこゆゑに なぐさめかねて けだしくも あふやと念オモひて
 玉垂タマダレの 越ヲチの大野の 朝露に 玉藻はひづち
 夕霧に 衣はぬれて 草枕クサマクラ 旅宿タビネかもする あはぬ君ゆゑ
                           柿本人麿・巻二 − 一九四
 
 この長歌は詞詩に拠りますと、泊瀬部皇女が兄の忍坂部皇子に奉った歌となっていま
す。ところが左注では夫の河島皇子を越智野に葬ったとき、泊瀬皇女が献じた歌とあり、
対象がはっきりしません。また「つま」は夫を指すのか、妻を意味するのか明らかでは
なく、「命の」の「の」は「が」ではないかとの疑問もあります。それに人麿の挽歌と
しては珍しく敬語が一つも使われていないことです。
 いろいろある解釈の中から考えられることは、あるとき一人の皇子が亡くなりました。
嘆き悲しむ妃に代わって人麿が歌を詠んだと云うことで、あるときは妃となってその心
情を述べ、あるときは自分の心象(イメージ)も重ね合わせて詩句を綴ったのではないで
しょうか。歌の意味は「川に生える玉藻のように、よりかかり靡き合ったあなたが亡く
なった。死の寝床もさぞかし荒れていることであろう。それを思うと気もそぞろで、も
う一度会うことが出来ないかと、越智の大野をさまよい、旅寝の夜霧に衣を濡らしてい
る」。柔膚は女身のことで、「たたなづく」は本来は連山の形容ですが、此処では起伏
する女性の肉体を指しています。この長歌には、
 
 しきたへの 袖かへし君 玉垂の
 越野過ぎゆく またもあはめやも
                              同・巻二 − 一九五
 
の反歌が付いています。「袖かへし」は「交わる」又は「死亡」を意味し、玉垂は緒ヲの
枕詞です。愛と死を実に詩的に表現しており、長歌と反歌が見事に階和しながら展開し
ているのも人麿ならではの感じが深い。
 越智野には、北に橿原市の鳥屋千塚の古墳群や宣化天皇陵、南に斉明天皇陵の森など
があります。
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