116 「しぐれ露霜」
 
○うらさぶる 情ココロさまねし ひさかたの
 天のしぐれの 流れあふ見れば
                            作者未詳・巻一 − 八二
 
 晩秋から初冬へかけて、落葉を叩くように降る雨、寂しさを募らせる時雨シグレは奈良
時代から多く詠われるようになり、風雅の伝統となって、日本人の心に定着しました。
この歌の大意は「大空から流れるように降り続いている時雨を見ていると、魂が遊離す
るような寂しさに襲われる」と云うものですが、「天の時雨」で寂寥感が一段と強調さ
れています。
 
 行き行きて あはぬ妹ゆゑ ひさかたの
 天の露霜 ぬれにけるかも
                       柿本人麿歌集・巻十一 − 二三九五
 
 芦辺ゆく 鴨の羽がひに 霜ふりて
 寒き夕は 大和し思ほゆ
                            志貴皇子・巻一 − 六四
 
 「つゆしも」は露であり、霜です。或いは霜になろうとする露でもあります。それに
は自然の持つ厳しさと、人を慕う切なさが篭められています。「どうしても逢えない妹
のために、私は遠くまで行って露霜に濡れてしまった」。
 
 誰タそ彼と われをな問ひそ 九月ナガツキの
 露にぬれつつ 君待つわれを
                          作者未詳・巻十 − 二二四〇
 
 「あれは誰だと聞かないで下さい。九月の露に濡れながら、あなたを待っているわた
しなんです」。「たそがれ(黄昏)」と云う語は「誰そ彼れ」から生まれました。日が
落ちて暗くなり、誰か分からなくなったので「あの人は誰」と問う時分なのです。
 時雨、露霜 − から連想されるものは「もみじ(黄葉)」です。
 
 雨ごもり 情ココロいぶせみ 出てみれば
 春日の山は 色づきにけり
                          大伴家持・巻八 − 一五六八
 
 夕されば 鴈カリのこゑゆく 竜田山
 しぐれに競キホう 色づきにけり
                          作者未詳・巻十 − 二二一四
 
 こもりくの 初瀬ハツセの山は 色づきぬ
 しぐれの雨は ふりにけらしも
                        大伴坂上郎女・巻八 − 一五九三
 
 「もみじ」と云いますと、大和には黄葉が多く、紅葉するのは春日山、竜田川畔、多
武峯、奧吉野の数ケ所に過ぎないことは前に述べました。その一つ竜田川の紅葉は、
 
 あらしふく みむろの山の もみじばは
 立田の川の 錦なりけり
                             能因法師『後拾遺集』
 
 つゆしもの 下照るにしき たつた姫
 わかるる袖ソデも うつるばかりに
                             藤原定家『拾遺愚草』
 
とあります。
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