114 「月光の歌」
 
○長谷ハツセの 弓槻ユツキが下に わが隠せる妻
 あかねさし 照れる月夜ツクヨに 人見てむかも
                         柿本人麿・巻十一 − 二三五三
 
○健男マスラオの 念オモひ乱れて 隠せるその妻
 天地アメツチに 通り光テるとも 顕アラハれめやも
                            同・巻十一 − 二三五四
 
 「長谷の弓槻の下に、そっと隠している私の妻の姿を、この月の光で人が見ただろう
か」。弓槻ユツキは古来から人が触れてはならない神聖な木とされて来ました。また昔は女
の忌み篭もる処を月屋とも云いました。それらが「隠せる妻」に掛かっています。「恋
しさに絶えかねて、隠した妻だ。天地に光が通り照ろうとも、人に見つかるものか」。
 何とも強く健気な歌です。この旋頭歌は、月光に輝く山里の歌垣カガイへの思い出であ
るかも知れません。三輪山から上がり、二上山に沈む太陽と月、それは大和の自然には
今もなお神秘な味わいがあります。
 
 味酒ウマザケの 三毛侶の山に 立つ月の
 見が欲し君が 馬の音そする
                       柿本人麿歌集・巻十一 − 二五一二
 
「三輪山に立つ月のように、早くあなたを見たい」と、恋しい人を待っていた女の耳に、
馬の蹄ヒヅメの音が聞こえて来ました。「ああ、あの人が来てくれたのだ」と胸を時めか
す女、優しく美しい恋心です。月は昔は「月人壮子ツキヒトオトコ」と呼ばれ、男性と見られて
いました。取り分け初瀬、三輪の月は、おおどかで豪壮です。「味酒の」に詠われた月
も恐らく、満月でしたでしょう。
 
 月見れば 国は同じそ 山隔ヘなり
 愛ウツクしく妹は 隔なりたるかも
                       柿本人麿歌集・巻十一 − 二四二〇
 
 かのころと 宿ネずやなりなむ はたすすき
 うらのの山に 月かたよるも
                           東歌・巻十四 − 三五六五
 
 豪壮で素朴な月の歌も、奈良時代になりますと都会化して繊細となり、人の心に沈む
ようになりました。
 
 世の中は 空しきものと あらむとそ
 この照る月は みちかけしける
                           作者未詳・巻三 − 四四二
 
 この歌は人の世の無常を月の光に託しており、高橋虫麻呂は葛飾の真間手古奈を悼ん
だ長歌(巻九 − 一八〇七)で「望月モチヅキのたれる面輪に 花のごと」と、女の顔を満
月に例えています。また坂上郎女は、
 
 烏玉ヌバタマの 夜霧のたちて おおほしく
 照れる月夜の 見れば悲しも
                                巻六 − 九八二
 
 湯原王は、
 
 夕月夜 心もしのに 白露の
 置くこの庭に こほろぎ鳴くも
 
と、調べも、詩句もずっと細やかになります。更に大伴家持は越中守の頃、領内を巡視
して、能登の珠洲スズで詠んだ歌に、
 
 珠洲ススの海に 朝開きして こぎくれば
 長浜の浦に 月照りにけり
                              巻十七 − 四〇二九
 
があります。「月照りにけり」と云う表現は、万葉集中この一首しかなく、その意味で
珍しい。
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