113 「穴師川アナシガワ」
 
○痛足河アナシガワ 河浪立ちぬ 巻目マキモクの
 由槻ユツキが嶽タケに 雲居立つらし
                          柿本人麿・巻七 − 一〇八七
 
○あしひきの 山河の瀬の 響ナるなへに
 弓月ユツキが嶽に 雲立ち渡る
                             同・巻七 − 一〇八八
 
 弓月ケ嶽には昔から水の信仰があり、麓を流れる穴師川は禊ミソぎ処でした。天を突く
火、三輪山と重なり離れる巻向、竜王の山々は、まるで神話の世界です。見出の有名な
歌の作者も、生動する自然の背後に、神々の夜の饗宴を感じて、高らかに詠い上げたの
でしょう。
 「山川の瀬が音高く響き流れると共に、弓月ケ嶽一面に雲が湧き立っている」と。
 
 かつてこの里には、穴師神人と呼ばれる芸能人等が住んでいたと云います。神に仕え
ると共に、神歌を中心とした芸能を伝えました。神の巫女の中には、人麿の恋人も混じ
っていたのかも知れません。山葛ヤマカズラを頭に載せて、古人はどんな舞を舞ったのでし
ょうか。
 
 巻向の 病足アナシの川ゆ 往く水の
 絶ゆること無く またかへりみむ
                        柿本人麿歌集・巻七 − 一一〇〇
 
 ぬばたまの 夜去りくれば 巻向の
 川音高しも あらしかも鋭トき
                             同・巻七 − 一一〇一
 
 岩を蹴る水音が耳を打ちました。神々の時代から気の遠くなるような歳月、大和には
何時までも変わらない風土があるのです。
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