111 「萱生カヨウ」
 
○衾道フスマヂを 引出ヒキデの山に 妹を置きて
 山路を行けば 生けりともなし
                           柿本人麿・巻二 − 二一二
 
 「衾田の山に妻を葬って、山路を帰る道すがら、悲しくて生きる気持ちもしなかった
」。
 山辺の道は古墳の密集地帯です。柳本古墳群、竜王山古墳群、そして萱生カヨウ千塚な
ど、黄金色に広がる稲田のあちこちに、黒く茂った小さな丘が無数にあります。また手
白香皇女タシラカノオウジョ陵、下池山古墳、大和オオヤマト神社なども点在します。
 大和神社は、山上憶良が巻五の八九四で「倭の大国霊オオクニミタマ」と詠んだ地主神を祀っ
ています。手白香皇女は仁賢帝と、この地方の豪族であった春日氏の娘春日大娘皇后と
の間に生まれた皇女です。皇女は後に継体帝と結婚し、欽明帝の母親となりました。継
体帝とは、それまでの皇譜から離れて、他地方から移って来たと云われる天皇です。皇
女は継体・欽明期の内乱に密接な関係を持つ問題の女性でした。
 
 去年コゾ見てし 秋の月夜は 照らせども
 相見し妹は いや年さかる
                              同・巻二 − 二一一
 
 家の来て 吾家を見れば 玉床の
 外に向きけり 妹が木枕コマクラ
                              同・巻二 − 二一六
 
 と詠っており、切々たる慕情を垂井は月に託し、或いは木枕に寄せています。
 妻の死は鋭敏で激しい詩人の心に大きな衝撃を与えました。絢爛たる宮廷詩人のこれ
らの一連の悲しみの歌は、この衝撃が元となって生まれたと云えましょう。
 次の歌なども、古代人の静かな魂の囁ササヤきが聞こえてくるようです。
 
 児らが手を 巻向山は 常にあれど
 過ぎにし人に 往き巻かめやも
                        柿本人麿歌集・巻七 − 一二六八
 
 巻向の 山辺とよみて 往く水の
 水沫ミナアワのごとし 世の人われは
                             同・巻七 − 一二六九
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