110 「黄葉モミジ」
 
○秋山の 黄葉モミチをしげみ 迷ひぬる
 妹を求めむ 山道ヤマヂ知らずも
                           柿本人麿・巻二 − 二〇八
 
○黄葉モミチバの 散りぬるなへに 玉梓の
 使を見れば 会ひし日思ほゆ
                              同・巻二 −二〇九 
 
 この歌は前に挙げました長歌の反歌で、亡き妻を恋い偲ぶ感情が長歌だけでは詠い切
れず、更に叙情となって二首の反歌へ溢れ出ました。そうして、長歌では妻の死を聞い
た驚きを、天象と海山が交錯する心象(イメージ)で描いたのに対し、反歌では現実の黄葉
に定着させています。
 「山の黄葉が深い。その中を亡き妻がさまよっている。しかしその恋しい妻を探し出
す道が、私には分からない」「黄葉が散る。梓アズサの枝を持った文使いが行く。あれが
妻からの便りであったらなあと、思い出が懐かしく甦ってくる」。
 
 古代人には死者は山へ入ると云う考えがありました。人麿の深い悲しみが、この考え
をも合わせ、いろいろの観念を誘い出したのではないかと思われます。妻が死んで時が
流れ、いま黄葉が散っている。深まる思い出と悲哀、山に迷う死者の魂 − 人麿はそれ
を美しい詩に詠い上げました。よく似た歌に、
 
 里人の 吾に告ぐらく
 汝が恋ふる 愛ウツクし妻は 黄葉の 散りまがひたる
 神名火の この山辺ヤマヘから 烏玉ヌバタマの 黒馬クロマに乗りて
 河の瀬を 七瀬ナナセ渡りて うらぶれて 妻は会ひきと 人ぞ告げつる
                         作者未詳・巻十三 − 三三〇三
 
があります。
 
 そこで「モミジ」の漢字ですが、万葉には「黄葉」を使った歌が圧倒的に多く、七十
六首もあるのに対し「紅葉」は僅か一首しかありません。その理由として考えられる一
つは中国の詩の影響ですが、いま一つは大和には楢ナラや櫟クヌギなど黄色く紅葉する木の
多いことです。赤く染まる楓カエデは奈良の春日山、斑鳩の竜田、桜井の多武峯や、奧吉
野などに見られるだけです。そうした風土の特異性が万葉に結び付いているのも興味が
深く、その特異性が現在も変わっていないところに、万葉と現代とが繋がっていいるの
です。
 
 軽の池の うらみ往回ユキミる 鴨カモすらに
 玉藻の上に 独り宿ネなくに
                            紀皇女・巻三 − 三九〇
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