108 「檜隈ヒノクマ」
 
○さ檜ヒの隈 檜の隈河に 馬とどめ
 馬に水かへ 我ワレ外に見む
                         作者未詳・巻十二 − 三〇九七
 
 「檜隈川に馬を止めて、水を飲ませてやって下さい。その間、私はあなたのお姿を見
ていられるんですもの」。何ともいじらしいではないでしょうか。
 檜隈は飛鳥から軽 − 檜隈 − 巨勢と繋がる街道筋でした。繁華な生活がこの奧に感
じられます。万葉集には、他にも檜隈に関する歌があり、神歌にも恋歌にも使われてい
ますが、檜隈曲と云う歌がありましたでしょうか、馬に水を飼えると云う情景には、東
歌にもこのようなものがあります。
 
 鈴が音の はまゆ駅ウマヤの つつみ井の
 水をたまへな 妹がただ手よ
                         作者未詳・巻十四 − 三四三九
 
 鈴の鳴る馬の駅、さしずめ急行停車駅です。都の貴族の子弟のような男が馬から降り
立ち、駅の娘さんに声を掛けます。「水を下さいな。器ではなく、あなたの手で」。
 
 檜隈は飛鳥・奈良時代を通じて栄えました。『日本書紀』に拠りますと、「呉人を檜
隈野に安置す」とあり、染織、石工、法律家等々先進国の優れた技術者等の里でした。
彼等はときには蘇我氏と結んで、経済的にも、文化的にも朝廷の大きな支えとなり、文
化の花を咲かせたのです。飛鳥朝の精神的支柱(バックボーン)の一つが檜隈でした。飛鳥
朝は、帰化人の勢力を切り離しては考えられないのです。
 
 この辺りには、欽明陵、天武・持統大内陵、吉備姫王の墓、文武陵など、よく知られ
た古墳が多く、また鬼の俎マナイタ、猿の石などの巨石文化の跡が見られます。
 村外れに於美阿志オミアシ神社があります。帰化人漢人阿智使主アチノオミを祀っており、わが
国では数少ない異国の神です。専任の宮司も居らず、お社も傷んでいます。境内にある
重文の十三重石塔は十二、十三重と相輪を失っています(注:昭和41年頃)。
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