107 「飛鳥の秋」
○やすみしし 我が大君の
夕されば めしたまふらし 明アケくれば 訪トひたまふらし
神岡カミオカの 山の黄葉モミヂを 今日もかも 訪ひ給はまし
明日アスもかも めし給はまし その山を ふりさけ見つつ
夕されば あやに悲しみ 明くれば うらさびくらし
あらたへの 衣の袖ソデは 乾ヒる時もなし
持統天皇・巻二 − 一五九
盧(盧+鳥)野皇后は、川原寺において只管ヒタスラ祈り続けられましたが、願いは空し
く朱鳥元年(686)九月九日、天武天皇は崩御されました。五十六歳の波乱に満ちた生涯
でした。斉明帝の朝鮮遠征の旅、吉野への逃避、壬申の乱、そして飛鳥浄御原宮でご即
位の後、官僚組織の整備と律令国家への道等々、皇后もまたこの苦難を共にされて来ま
した。
天武九年、皇后の病気回復を祈られて薬師寺の建立発願のこと、同十年、帝紀(神統
・皇譜)及び旧辞(神話・伝説)を集めたこと、内外の舞曲を宮廷に集中させたこと、
皇族の社会的地位を確立し、官僚制を強化するために八色姓ヤイロノカバネを定めたことなど、
様々の思い出が駆け巡ったことでしょう。思いを篭めて皇后は歌をお詠みなられました。
「大君の御霊ミタマは、この神岡の黄葉を天翔カケてご覧になっていましょう。私は今は涙
で袖の乾くときもありません」。やがて皇后は天武帝のために大内陵を築きました。
盧(盧+鳥)野皇后は後に即位して持統女帝となり、持統八年藤原宮を造って、其処
に遷りました。
丘を下り、川原寺の横を通りますと、天武・持統陵に至ります。川原寺は文武帝代に
は、大安、薬師、元興と共に四大寺の一つでした。今は大理石の礎石群に秋の落日が散
るのみです。
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