098 「雨の歌」
○ぬばたまの 黒髪山の 山菅に
小雨ふりしき しくしく思ほゆ
柿本人麿歌集・巻十一 − 二四五六
○雨ふらね とのぐもる夜を ぬれひづと
恋ひつつをりき 君待ちがてり
安倍広庭・巻三 − 三七〇
万葉には雨の歌が多い。そして殆どが雨に託して、恋心や悲哀を詠っており、素朴で
可憐な心象風景を繰り広げています。それも一雨毎に木の葉が色を増す晩秋だけでなく、
春雨や梅雨、或いは乾いた土をさっと濡らす夏の白雨にも、抒情を感じ取っています。
雨はわが国の風土の生んだ抒情の象徴なのでしょうか。
「雨ふらね・・・・・・」の歌は梅雨どき、雨が降りそうで降らず、身も心もしっとりと湿
った中で、一向ヒタスラに人を待っている切々の情を詠んだものです。
春雨の歌では、
いまさらに 君はい行かじ 春雨の
情ココロを人の 知らざらなくに
柿本人麿歌集・巻十 − 一九一六
「あなたを帰すまいとでも云うように春雨が降る」。これは女の立場から詠んだ歌で
す。正倉院文書にも「春佐米乃阿波礼(春雨のあはれ)」の文字が見られます。また『
古事記』の神語歌には「あなたのうなだれて泣く姿は、大和のひともと薄ススキが、朝の霧
雨に濡れてうなだれているようだ」と云う意味の美しい歌があります。
雨と云いますと、穴師の芸能人等が雨乞いを踏まえた恋の問答歌を逸することが出来
ません。
ひさかたの 雨のふる日を わが門カドに
みの笠きずて 来ケる人やたれ
作者未詳・巻十二 − 三一二五
纏向マキムキの 穴師の山に 雲ゐつつ
雨はふれども ぬれつつそこし
同・巻十二 − 三一二六
山萵苣ヤマジサ(エゴノキのこと)は、初夏に白い花を咲かせます。その山萵苣の葉に白
露が溜まって、重く垂れ下がっている風情を、切ない恋心に喩えたのが、
山ぢさの 白露重み うらぶれて
心に深く 吾恋ひやまず
柿本人麿歌集・巻十一 − 二四六九
雨にしっとりと濡れた自然の美しさ、奈良の依水園や、郡山の慈光院の庭も雨で風情
を増しますし、寺院の古い土塀を濡らす雨も、大和ならではの風物詩です。雨が煙ケブる
当麻寺の双塔や室生寺の塔は見るものの心を揺さぶります。
ひさかたの 雨もふらぬか 雨つつみ
君にたぐひて この日くらさむ
作者未詳・巻四 − 五二〇
「雨つつみ」は雨篭もりの意味で、これは大伴女郎の、
雨つつみ 常する君は ひさかたの
昨夜キソノヨの雨に こりにけむかも
巻四 − 五一九
の歌に付けたもので、田植え前の、物忌みしている男女の神人が、五月雨の垂れ込める
屋外を眺めて、ぼんやり一日を過ごす気持ちを詠んだ歌です。雨とはこんなにも悲しく、
気重なものなのでしょうか。
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