097 「ほととぎす」
 
○橘タチバナの にほへる香かも 霍公鳥ホトトギス
 鳴く夜の雨に 移ろひぬらむ
                         大伴家持・巻十七 − 三九一六
 
 霍公鳥ホトトギスは、まるで初夏の象徴みたいに詠われています。そして霍公鳥と来ます
と橘タチバナの花で、やや型に嵌ハまった感じがしますが、何処か哀調を帯びた霍公鳥の鋭
い鳴き声と、清らかな香りの漂う橘の花とが、噎ムせるような新緑の中で、返って心に沁
み入るのかも知れません。
 古代人は鳥の声に神秘的なものを聞き取りました。季節、つまり生産の時を告げると
云う意味もあったでしょう。
 
 信濃なる 須賀の荒野に ほととぎす
 鳴く声聞けば 時すぎにけり
                         作者未詳・巻十四 − 三三五二
 
 信州(長野県)における歌ですが、何の「時」なのか、漠然と「ああ、随分時が過ぎ
たなあ」と摂ることも出来ますが、田植えの「時」と見るべきかも知れません。生活に
深く根挿した季節感と、それに纏わる心の動きが、鳴き渡る霍公鳥の声に連れて、初夏
の空に弧を描きます。
 
 旅にして 妻恋すらし 霍公鳥
 神名火山に さ夜更けて鳴く
                          作者未詳・巻十 − 一九三八
 
 霍公鳥は、大抵自分では巣を作ったり卵を温めたりしないで、鴬ウグイスなどの巣に一つ
ずつ卵を産み込んで育てて貰うと云いますが、その様を高橋虫麻呂は詠いました。
 
 鴬の 生卵の中に 霍公鳥 独り生れて
 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず
 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛びかけり 来鳴き響もし
 橘の 花を居散らし 終日に 鳴けど聞きよし
 幣はせむ 遠くな行きそ わが屋戸の 花橘に 住み渡れ鳥
                               巻九 − 一七五五
 
 「いい声だなあ。お礼はするから、遠くへ行かないで欲しい。わが家の橘の木に住み
着いておくれ」と、豪エラく惚れ込んでいます。他人の家で育つ生い立ちも、古くから人
々の心を惹いたらしい。
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