096 「宇陀ウダ」
 
○わが家に わが住坂スミサカの 家道イヘヂをも
 吾ワレは忘れじ 命死なずは
                         柿本人麿の妻・巻四 − 五〇四
 
 桜井市から榛原の町に入る手前に、峠らしいだらだら坂が続きます。「住坂の家道も
あなたのことも私は忘れまい。生きているかぎりは・・・・・・」。人麿の妻とはどのような
女であったのか、はっきりしていません。この歌が女の歌であるとしますと、女が男の
家に行ったことになり、当時の婚姻方式からしますと逆になっているからです。
 坂は直ぐ終わり、宇陀川の辺ホトリに美しい石段のある墨坂神社に辿り着きます。
 
 宇陀は縄文土器も出る古い国でした。『古事記』や『日本書紀』の久米歌をご紹介し
ましょう。
 宇陀の山の鴫シギを捕る罠ワナを作りました。待っていますと鴫が懸からず、鯨クジラが懸
かりました。先に娶メトった妻が、御数オカズを欲しがったら蕎麦ソバの、木の実のないのを
遣れば良い。後から娶った妻が御数を呉れと云ったら、実の多いのを遣ると良い。
 後に「ええしやこしや、ああしやこしや」と調子の良い囃子ハヤシが付きます。何とも洒
落たっぷりの歌で、古代人の赤裸々な姿が心を打ちます。
 久米歌とは、料理人を兼ねた久米部ベの兵士の歌のことですが、それは饗宴にも、舞
踏にも、また戦闘の場においても歌われたようです。宮廷の大嘗祭の宴においても歌わ
れています。
 久米歌を歌った戦いで忍坂を女軍に攻めさせ、敵の目を惹いて住坂から男軍が一挙に
直撃した、と云う伝説もあります。
 墨坂神社の謂れには、崇神天皇の御代、夢の中に神が現れ、赤楯八枚、赤鉾八棹を捧
げて墨坂の神を祀れ、と告げたと云います。
 この国境のような古い遠い土地に、人麿の女が命を賭けてひっそりと住んでいたのか
も知れません。
 
 大和の 宇陀のま赤土ハニの さ丹著ニツかば
 そこもか人の 我ワを言コトなさむ
                          作者未詳・巻七 − 一三七六
 
 「大和の宇多の赤い土の色が着物に付いたなら、そのことで人が私のことをあれこれ
噂するだろうか」のような歌もありました。赤土のように恥らって赤くなると云う説も
あります。
 伊那佐山に近い宇陀水分中社の裏に水銀工場があります。つまり宇陀は今も辰砂 − 
赤土を産するのです。
 清い宇陀川の流れと、美しい山と神社のある、宇陀の里は糸のような雨の中で、静ま
り返っています。
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