095 「室生ムロフ」
 
○日本ヤマトの 室生ムロフの毛桃ケモモ 本モトしげく
 いひてしものを 成らずは止まず
                         作者未詳・巻十一 − 二八三四
 
 室生の山々は元古い火山群でした。室生川は、それを切って深い谷間を流れています。
川沿いの山間ヤマアイに室生寺があり、石楠花シャクナゲが有名で、女人高野の名に相応しく清
らかで、物静かな密教寺院の佇まいです。
 元々この地は水神の聖域として、古くから信仰の対象であった処です。室生寺のやや
上流にある竜穴神社は、水の女神を祀っていました。女人高野として栄えたのも、人々
の心の底に、そのような古代の思い出があったのかも知れません。
 
 『万葉集』に「むろふ」の名が見えるのは、この歌位いのものです。磯城郡田原本町
唐古の付近とか、御所市室とする説もありますが、この室生村であろうと考えられます。
 「室生の桃の幹が茂っているように、茂々と言葉をかけたのだから、実が成らずに終
わることはあるまい」と、あの子の心も靡くだろうと詠います。
 
 はしきやし 吾家ワギヘの毛桃 本しげみ
 花のみ咲きて ならざらめやも
                          作者未詳・巻七 − 一三五八
 
 「ああ、わが家の毛桃は、本が茂っているのだから、花だけ咲いて実がならないと云
う筈はあるまい」。
 そのように思っても、矢張り心配なのが人の常で、「向うの山に立っている桃の木は
実が結ぶでしょうか、と人々がひそひそ噂しています。決して油断してはなりませんよ
」。
 
 向つ峯ヲに 立てる桃の樹キ 成らめやと
 人そささやく 汝ナが情ココロゆめ
                          作者未詳・巻七 − 一三五六
 
 桃は昔から神聖な、豊かな魔力を持った果実と考えられていたようです。『古事記』
にある話は有名です。
 伊邪那岐イザナギ命が、亡くなられた妻の伊邪那美イザナミ命に逢いたいと、黄泉ヨミの国へ
訪ねて行ったときのこと。「一緒に地上の国へ帰りとうございます。黄泉の神と交渉し
ます間、私の姿は見ないで下さい」と云う妻の言葉が待ち切れず、火を点して見ますと,
蛆ウジだらけの死体がありました。「私を恥ずかしめた」と悪霊共に追わせるのを、伊邪
那岐命は桃の実を投げ付けながら逃げ帰ったと云います。魔除けである、と同時に桃に
は、美しい女性の心象(イメージ)が付き纏います。
 
 わが屋前ヤドの 毛桃の下に 月夜ツクヨさし
 下心シタゴコロよし うたてこのころ
                          作者未詳・巻十 − 一八八九
 
 娘が一人前になったことを喜ぶ母の歌であるとも、秘めやかな女心を詠ったものであ
るとも云われています。
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