090 「まつち山」
○橡ツルバミの 衣キヌ解き洗ひ 真土山マツチヤマ
本モトつ人には なほ如シかずけり
作者未詳・巻十二 − 三〇〇九
真土峠は、大和と紀州の境です。
「つるばみの衣を解いて洗ってまた打つと云う名の真土山、その音から連想されるも
とつ人(古くから馴染んだ妻)には勝るものはない」。
「つるばみの衣」とは団栗ドングリの実の笠を煮て、その汁で染め、多く庶民の用いた
衣でした。大和を後にし、紀州を跡にする、峠と山は旅人の心に様々の想いを湧かせた
のでしょう。
まつち山 夕越え行きて 廬前イホサキの
角太スミダ河原に ひとりかも寝む
巻三 − 二九八
これは春日の蔵首老クラノオビトの歌ですが、大和人は軽の路を越え、巨勢を過ぎ、真土山
を越えて紀州路へ入りました。笠朝臣金村も巻四の五四三の長歌にこの道筋を詠んでい
ます。角太は今の隅田で、八幡宮の古い鏡銘で知られています。
あさもよし 紀人キヒト羨トモしも 亦打山マツチヤマ
行き来クと見らむ 紀人羨しも
調首淡ツキノオビトノオオミ・巻一 − 五五
「朝の衣がよい紀州の人」「妹の朝の裳モのよい」と云う説もありますが、「亦打山を
行き帰り見ると云う紀の国人は羨ましい」。大和人は、紀の国へ強い憧れを持っていま
した。
紀の川の河口には紀伊の豪族がいました。それとの関係もあったでしょう。また海の
ない大和の国の人が、黒潮躍る国に対して懐いた旅心もあったでしょう。
人麿や赤人も紀州を憧れを持って詠んでいます。
み熊野の 浦の浜木綿ハマユフ 百重モモヘなす
心は思へど 直タダにあはぬかも
柿本人麿・巻四 − 四九六
若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ
葦辺をさして 鶴タヅ鳴きわたる
山部赤人・巻六 − 九一九
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