089 「宇智の大野」
 
○やすみしし わが大君オホキミの
 朝アシタには とり撫でたまひ 夕ユフベには い倚ヨり立たしし
 みとらしの 梓アヅサの弓の 長弭ナガハズの 音すなり
 朝狩アサガリに いま立たすらし 夕狩ユフガリに いま立たすらし
 みとらしの 梓の弓の 長弭の 音すなり
                         中皇命ナカツスメラノミコト・巻一 − 三
 
○たまきはる 宇智の大野に 馬なめて
 朝ふますらむ その草深野クサブカノ
                                同・巻一 − 四
 
 五條市の入口、北宇智辺りは金剛、葛城連山が覆い被さるように背後に迫ります。舒
明天皇が狩をされたと云う宇智はこの辺りでしょうか。
 「わが大君が朝は手に取って撫で、夕方は側に寄ってお立ちになって、常々愛用なさ
った梓の弓の長弭の鳴る音が聞こえる。今こそ狩にお出かけになられるらしい」。
 古い宮廷寿歌の伝統に立っていて、古風な品格が感じられないでしょうか。長弭は金
弭ではないかととも云われています。また中弭との説もあります。
 その「音すなり」が対句(リフレイン)になっていますが、弓弭を鳴らすのは狩猟出発の儀
礼でした。
 
 この歌の作者は、中皇命が間人連老ハシヒトムラジオユをして奉らしめたと題詞にあります。
中皇命とは喜田貞吉博士「中天皇考」に拠りますと、中継ぎの天皇ではないか、と云わ
れ、また折口信夫博士は、神と天子との中間にある女君を指していると云います。皇后
として後の天皇に昇るものは皆中皇命で、中宮と云う言葉と関係があるのではないか、
と説いています。具体的に誰かは分かっていませんが、例えば舒明帝の皇后で、後の皇
極・斉明女帝とも、舒明帝の皇女間人皇女かとも云われています。
 
 添えられた短歌は、柔らかい律動(リズム)の引き締まった、荘潔の歌です。露一杯に
濡れた朝の野に馬を並べて狩をする愛人を、姫宮が偲んで称えた歌です。
 この短歌の四、五句は、何気なく読んでいますと気付きませんが、音の対比が見事で
あり、また体言止めにした含蓄深い造語になっています。
 大和もこの辺になりますと、飛鳥や磯城野とは風景が急変し、如何にも大野の感が深
い。
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