088 「象キサの小河オガワ」
○み吉野の 吉野の宮は 山柄カラし 貴タフトくあらし 川柄し 清サヤけくあらし
天地アメツチと 長く久しく 万代ヨロヅヨに 変らずあらむ 行幸イデマシの宮
大伴旅人・巻三 − 三一五
「み吉野の離宮を取り巻く山々は、品格が優れているらしい。川の性格が爽やからし
い。その天と地と同じように、長く久しく万代までも、変わらずに栄えることだろう、
天皇のお出でになられるこの宮は」。神亀元年頃、大伴旅人が聖武天皇の命を受けて詠
み奉ったとあります。
旅人は大陸の文芸や思想に明るい、いわば当時の都会的知識人でした。しかし此処で
は、そのような知識や教養はひとまず置いて、古くからの宮褒め歌の伝統に従って、淡
々と詠っています。約七十首を『万葉集』に留めた旅人も、長歌はこれ一首のみです。
長歌には公的な性格が強かったが、しかしそれが旅人にし一つしかありません。
それには長歌の運命の問題があります。旅人は長歌の代わりに漢文の序に心を傾ける
ようになりました。そして、知識人として私的な感懐を遣るようになったのです。
宮滝に架かった柴橋を渡り、喜佐谷へと遡ります。喜佐谷は、吉野の水分山や如意輪
堂の裏から下って来る谷間です。此処を流れる川こそ「象の小川」と見立てられ、その
辺ホトリに聳えるのが「象山」となりました。
この喜佐谷川がまた、如何にも歌の「象の小川」そのままです。小川は、新緑の谷間
を白く走り落ちて行きます。
昔見し 象の小河を いま見れば
いよよ清けく なりにけるかも
巻三 − 三一六
六十歳を過ぎて太宰府の長官となった旅人は、遥か北九州の地で、このようにも詠い
ました。
わが命も 常にあらぬか 昔見し
象の小河を 行きて見むため
巻三 − 三三二
「私の命は、永遠であってくれないものだろうか。昔見たあの象の小川を見に行くた
めに」。老齢の旅人に執って吉野の山川は、あの古き良き日の象徴でもあったのでしょ
うか。
わが行きは 久にはあらじ 夢のわだ
瀬にはならずて 淵にしありこそ
巻三 − 三三五
「私の旅もそう長くはあるまい。夢のわだよ、その間に浅瀬にならず、淵のままであ
って欲しい」。
岩に砕ける奔流の上に、象の小川が白い滝となって落ちます。辺りの眺めを、まるで
この一点に集中するように、その直ぐ側が夢のわだになっています。
この夢のわだは、奈良貴族が美しい異郷と讃えた処でした。
[次へ進む] [バック]